以前、じゃがいも亭国でも宗教団体を作ろうと思っていると書きました。
目的はじゃがいも亭国とそれ以外の人を分離する為。
つまり檀家だけで生活圏を築こうと言う考え。
宗教団体なら、他の人が入り込みにくいから。
そこで、世界の大宗教も同じなのではないかとと言う考えが浮かびました。
日本は島国なので、他から異国人が流れ込む事は少なかった。
それで無宗教と言う日本人が出来上がった。
日本人の宗教は「祈り」ではなく、「感謝」になったのだと隠居は考えています。
日本には八百万の神がいます。
そして人々は主に感謝を捧げる。
人々は太陽、海、川、山などから恵みを与えられ、感謝する。
だが、海外では祈りと厳しい掟がある。
それは何故か?
海外は地続きの国が多く、他国からいろいろな人が出入りするから。
その時に悪意のある人が入り込む事もあったでしょう。
仲間と仲間以外を区別する必要に迫られたのではなかろうか?
今のように指紋や顔写真も無い時代、何をもって見知らぬ人を敵と味方に分けるか?
この時に宗教が使われたのではないか?
同じ宗教の人は同じ価値観を持っている。
熱心な信者程その結びつきが強くなる。
それゆえ、異教徒を嫌う。
絶対的に受け入れられない場合も生じる。
また、区別しやすいように経典を暗記し、厳しい戒律を設ける。
そして、時代が進むようになると、宗教の違いを利用して争いを起こす企みが生まれる。
宗教観を元にした対立。
そして戦争。
さらに同じ宗教であっても、宗派により異教徒以上にお互いを憎む事もある。
同じ宗教だと区別が難しいから。
違いが分かり難いから、敵と味方が分からない。
だから、自分が信じる宗派以外を強く嫌う。
宗教が、戦争や争いの元になっている事は悲しい事だ。
だが、この争いは何者かが意図的に原因を作っている場合も多い。
つい最近、サウジとイランが和平を結んだ。
サウジがスンニ派、イランがシーア派。
このサウジとイランは激しく対立していましたが、中国の仲介で和平を結んだ。
それは対立の裏側にアメリカがあったからではないだろうか?
パレスチナとイスラエルの戦争も同じだ。
イスラムとユダヤの争い。
でも、実はイスラエルは本当のヤダヤもいるが偽ユダヤが多いとも聞く。
この地域では昔、イスラムとユダヤが仲良く暮らしていたと言う。
ここにもアメリカ、いやシオニストが動いてるのだろう。
先ほども書きましたが、今では個人を簡単に特定する方法があります。
今までのような対立は起きにくくなっています。
戦争が起きる場合は、その裏側で何者かが利益の為に動いているとみるべきでしょう。
さて、宗教をちょっと考えて見ましたが、じゃがいも亭国の言う宗教団体はこれとはまったく別のモノです。
一番は檀家を中心とした生活圏を構成する為。
我々独自の教育、医療、行政機能などを行うための執行機関なのです。
もちろん、異教徒を介在させない目的も持っています。
内容的には町内会に近いものかもしれませんが、排他的でもあります。
まあ、クラスのお楽しみ会のようなものですねw
じゃがいも亭国はこんな感じですが、皆さんも仲間とともにいろいろなグループを作ってみて下さい。
画一的な大きなグループを作ると国は法律を作り締め上げようとするでしょう。
いろいろなスタイルの別々なグループが、うじゃうじゃ、あちこちに点在すれば国は管理できなくなりますからねw
グループ同士が連携すれば、その力も大きくなります。
乱世を仲間と共に楽しみましょう!
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