Nobu's Photo Blog

山歩き、旅、スキー&花の写真

ウズベキスタンの旅(前半)

2018年09月24日 | 

2018/9/04~9/11

「神秘のカラクルパクスタン共和国へ 初めてのウズベキスタン 8日間」ツアーに参加してきました。

ウズベキスタン内の移動ではホテルに深夜着、早朝発等少しきつい日もありましたが、充分にウズベキスタンを体験できました。

 ウズベキスタンは中央アジアのほぼ中央に位置し、1991年のソ連解体に伴いウズベキスタン共和国として独立しました。ウズベク語が公用語であるが、ロシア語が共通語・準公用語として使われています。政治的・経済的にもロシアと密接な関係をもっており、人々もロシアに親近感をもっています。

 タシケント、サマルカンド、ブハラはシルクロードの交易に従事したソグド人の故郷ソグディアナにあり、シルクロードのオアシス都市として栄えました。ただ、その歴史は数々の民族・国によるの侵入、侵略・征服の歴史です。8世紀にはアラブ人が侵入・征服しイスラム化が進み、10世紀にはティルク民族が進出、ティルク語化が進みました。13世紀にはモンゴルが征服・支配、14世紀にティムール帝国が成立、その後15~16世紀には遊牧ウズベク集団が侵入、18~19世紀の三ハン国時代を経て、19世紀にはロシア帝国が征服しました。

 特にイスラム化とモンゴル征服時の徹底的な破壊によりソグド人の民族的特色は失われましたが、人々の風習や各モスク・メドレセにはゾロアスター教の影響が残っているようです。

 ウズベク人は西トルキスタン南部、ホラズム地方からフェルガナ地方に居住するティルク系民族であり、容貌的にはモンゴロイドを基本にコーカソイドが入っている。

 

9月4日

 ウズベキスタン航空にて12時頃成田発、現地時間17時半頃にタシケント着。(時差は4時間)

タシケントで国内便に乗り換えウルゲンチへ約2時間弱

さらにウルゲンチからバスでヒヴァへ、22時頃【イチャン・カラ】内の「マリカ キーバック」着

 

9月5日

カラクル・パクスタン共和国へ

アムダリア川を越え、キジルクム砂漠へ 

 

【トプラク・カラ】

紀元前1世紀か紀元後5世紀の古代ホレズム王国の都城(500✖340m)

日干しレンガ造りで、ゾロアスター教の寺院や宮殿跡、住居跡が残る

【アヤズ・カラ】

6、7世紀の古代ホレズム王国の都城跡

アヤズ・カラのユルタで昼食後ヒヴァに戻る

チャイハネで休憩 夕暮れのイチャン・カラ

「マリカ キーバック」泊

 

9月6日 

【イチャン・カラ】

 イチャン・カラとは「内城」の意味、中央アジアで唯一無傷の状態で保たれています。17世紀にはヒヴァ・ハン国の都でした。1740年にイランのナーディル・シャーにより多くが破壊され、現在の建物は18世紀から19世紀にかけ再建されています。東西約450m、南北約650m。

早朝の「イスラーム・ホジャ・ミナレット」  

「ジュマ・モスク」

「タシュ・ハウリ宮殿」

「カルタ・ミナル」

「ムハンマド・アミンハーン・メドレセ」

「バフラヴァン・マフムド廟」

イスラーム・ホジャ・ミナレットからジュマ・モスク、カルタ・ミナル、右奥にクフナ・アルク

 夕食後、バスでウルゲンチへ、その後ブハラへ移動

「グランド ブハラ」泊

 

9月7日

 【ブハラ歴史地区】

 ほとんどが15-16世紀のティムール時代の建築ですが、イスマイール・サマニ廟は中央アジア最古のイスラム建築

 1993年ユネスコ世界文化遺産に登録

「イスマイール・サマニ廟」 

「ティシュマ・アイユブ廟」

「バラハウズ・モスク」

「アルク城」

「カラーン・モスク」「カラーン・ミナレット」

「ミル・アラブ・メドレセ」

「タキバザール」

「ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ」

 

「マコギ・アッタリ・モスク」 ブハラ最古のモスク

 

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの中庭で民族舞踊ショーをみながら夕食 

  

「グランド ブハラ」泊

 

後編に続く

 

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