中庸第一節
本来人間は天より素晴らしい資質を賦与されている、それが性である。その性のままに行うことを道と言う。その道を自ら修得すること、それが教えである。人は道からはほんの僅かも離れることは出来ない。もし離れることが出来るとすれば、それは真の道ではない。それだから君子は表に現れているものは当然、隠されて見えないことにも戒め慎み、聞えてこないことにも恐れ慎み、その道から離れないように務めている。人には分からないから、細事な事だからと思っていても、必ず表に表れ、大事に至るものである。故に君子は人に見られず、聞かれない所でも謹慎することに務めるのである。喜怒哀楽の情が起こらず、平静な状態のときを中と言い、その情が起きたとしても、適度にして道に違わないことを和と言う。中というのは、天下の根本原理であり、和というのは、人の踏むべき普遍的な道である。故に中と和を正しく行うならば、天地はその正しい位を得て、万物は正しく養育し、天下はよく治まるのである。
天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子慎其獨也。喜怒哀樂之未發、謂之中、發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。
天の命、之を性と謂い、性に率がう、之を道と謂い、道を修むる、之を教と謂う。道なる者は、須臾も離る可からざるなり。離る可きは道に非ざるなり。是の故に君子は其の睹えざる所にも戒慎し、其の聞えざる所にも恐懼す。隠より見わるるは莫く、微より顯らかなるは莫し。故に君子は其の獨りを慎むなり。喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂い、發して皆な節に中る、之を和と謂う。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致せば、天地位し、萬物育す。
<語釈>
○「君子慎其獨」、鄭注:「独り慎むとは其れ居の為す所を慎む。小人は隠に於いては動作言語、自ら以て睹られず、聞かれずと為す。則ち必ず肆に其の情を盡くすなり。」、『大学』の第二章第一節にも同じく「故君子必慎其獨也」とある。併せて読むと更に善く理解できるであろう。○「達道」、人の踏むべき普遍的な道。○「天地位」、鄭注:「位」は猶ほ「正」のごとし。
<解説>
この第一節は『中庸』の学説を構成している「天命」、「性」、「道」、「教」の関係を示しており、此の書の最も重要な文章である。
「天命」について、鄭玄は、「天命は天の命じて人に生ずる所の者なり。是れを性命と謂う。」と述べている。乃ち人が生まれながらに天から賦与された素晴らしい資質の事で、朱子はこれを「性」と呼び、即ち「理」であると説明している。ただこの素晴らしい「性」を純粋に保持しているのは聖人だけで、我々凡人は「情」により其の純粋なものを曇らせてしまう。そこでそれに至る道を修めなければならず、人が人として生きる限り、その道からは離れる事が出来ない。
更に「君子慎其獨」で『中庸』のもう一つの大きな命題である「誠」について触れている。『大学』第二章第一節の「意を誠にする」と併せて読めば、更に理解が深まるであろう。最後にその大本である「中」について、天下を善く治めるには中を用いることであると結んでいる。當に『中庸』の根幹を述べた章であると言うべきである。
本来人間は天より素晴らしい資質を賦与されている、それが性である。その性のままに行うことを道と言う。その道を自ら修得すること、それが教えである。人は道からはほんの僅かも離れることは出来ない。もし離れることが出来るとすれば、それは真の道ではない。それだから君子は表に現れているものは当然、隠されて見えないことにも戒め慎み、聞えてこないことにも恐れ慎み、その道から離れないように務めている。人には分からないから、細事な事だからと思っていても、必ず表に表れ、大事に至るものである。故に君子は人に見られず、聞かれない所でも謹慎することに務めるのである。喜怒哀楽の情が起こらず、平静な状態のときを中と言い、その情が起きたとしても、適度にして道に違わないことを和と言う。中というのは、天下の根本原理であり、和というのは、人の踏むべき普遍的な道である。故に中と和を正しく行うならば、天地はその正しい位を得て、万物は正しく養育し、天下はよく治まるのである。
天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子慎其獨也。喜怒哀樂之未發、謂之中、發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。
天の命、之を性と謂い、性に率がう、之を道と謂い、道を修むる、之を教と謂う。道なる者は、須臾も離る可からざるなり。離る可きは道に非ざるなり。是の故に君子は其の睹えざる所にも戒慎し、其の聞えざる所にも恐懼す。隠より見わるるは莫く、微より顯らかなるは莫し。故に君子は其の獨りを慎むなり。喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂い、發して皆な節に中る、之を和と謂う。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致せば、天地位し、萬物育す。
<語釈>
○「君子慎其獨」、鄭注:「独り慎むとは其れ居の為す所を慎む。小人は隠に於いては動作言語、自ら以て睹られず、聞かれずと為す。則ち必ず肆に其の情を盡くすなり。」、『大学』の第二章第一節にも同じく「故君子必慎其獨也」とある。併せて読むと更に善く理解できるであろう。○「達道」、人の踏むべき普遍的な道。○「天地位」、鄭注:「位」は猶ほ「正」のごとし。
<解説>
この第一節は『中庸』の学説を構成している「天命」、「性」、「道」、「教」の関係を示しており、此の書の最も重要な文章である。
「天命」について、鄭玄は、「天命は天の命じて人に生ずる所の者なり。是れを性命と謂う。」と述べている。乃ち人が生まれながらに天から賦与された素晴らしい資質の事で、朱子はこれを「性」と呼び、即ち「理」であると説明している。ただこの素晴らしい「性」を純粋に保持しているのは聖人だけで、我々凡人は「情」により其の純粋なものを曇らせてしまう。そこでそれに至る道を修めなければならず、人が人として生きる限り、その道からは離れる事が出来ない。
更に「君子慎其獨」で『中庸』のもう一つの大きな命題である「誠」について触れている。『大学』第二章第一節の「意を誠にする」と併せて読めば、更に理解が深まるであろう。最後にその大本である「中」について、天下を善く治めるには中を用いることであると結んでいる。當に『中庸』の根幹を述べた章であると言うべきである。