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『孟子』巻第四公孫丑章句下 四十一節

2017-02-10 16:38:59 | 四書解読
四十一節

齊は燕を制圧したが、燕の人たちは反乱を起こし齊に叛いた。それに直面した齊王は言った、
「孟先生の意見を聞き入れなった為にこんなことになってしまい、恥ずかしい限りだ。」
齊の大臣の陳賈が言った、
「王様、ご心配なさることはありません。王様はご自身と周公とをお比べになってどちらが仁者かつ智者であるとお思いでございますか。」
王は言った、
「ああ、何ということを言うのだ。」
陳賈は言った、
「周公は兄の管叔に殷の遺民を監督させましたが、管叔はやがて殷の遺民を引き連れて反乱を起こし周に背きました。もし周公がそうなることを知っていながら彼を用いたとしたら、仁者とは申せません。またそれが分からずに用いたのであれば、智者とは申せません。そう見ますと、仁や智については周公さえも完全ではありませんでした。まして王様は周公に及ばないのですから、失敗があったとしても当然のことで、気になさることはございません。ひとつ私が孟先生に会って釈明して参りましょう。」
陳賈は孟子に会って尋ねた、
「周公はどういう人物ですか。」
「昔の聖人です。」
「管叔に殷の遺民を監督させたところ、その遺民を引き連れて周に背いたということですが、本当でしょうか。」
「そのとおりです。」
「それでは、周公は管叔がやがて叛くだろうということを知っていながら用いたのですか。」
「知らなかったでしょう。」
「では聖人ですら過ちをおかすことはあるのでしょうか。」
「周公は弟で、管叔は兄です。兄弟の礼を重んじて兄を愛したのですから、周公の過失も無理ないことではありませんか。更に昔の君子は、誤りを知ればすぐに改めましたが、今の君子は誤りを知りながらそのまま進めようとします。昔の君子が過ちを犯すと、人民は日食や月食が起こった時のようにびっくりして見ますが、日月が又明るくなるようにそれが改められると、人民は皆喜んで仰ぎ見るのです。ところが今の君子は、誤りを押し通そうとするだけでなく、その弁明までするのです。」

燕人畔。王曰、吾甚慚於孟子。陳賈曰、王無患焉。王自以為與周公孰仁且智。王曰、惡。是何言也。曰、周公使管叔監殷。管叔以殷畔。知而使之、是不仁也。不知而使之、是不智也。仁智周公未之盡也。而況於王乎。賈請見而解之。見孟子、問曰、周公何人也。曰、古聖人也。曰、使管叔監殷、管叔以殷畔也、有諸。曰、然。曰、周公知其將畔而使之與。曰、不知也。然則聖人且有過與。曰、周公弟也。管叔兄也。周公之過、不亦宜乎。且古之君子、過則改之。今之君子、過則順之。古之君子、其過也、如日月之食。民皆見之。及其更也、民皆仰之。今之君子、豈徒順之。又從為之辭。

燕人畔く。王曰く、「吾甚だ孟子に慚づ。」陳賈曰く、「王患うること無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智なりと為すか。」王曰く、「惡。是れ何の言ぞや。」曰く、「周公、管叔をして殷を監せしむ。管叔、殷を以て畔く。知りて之を使むれば、是れ不仁なり。知らずして之を使むれば、是れ不智なり。仁智は周公も未だ之れ盡くさざるなり。而るを況んや王に於いてをや。賈請う、見て之を解かん。」孟子を見て、問いて曰く、「周公は何人ぞや。」曰く、「古の聖人なり。」曰く、「管叔をして殷を監せしめしに、管叔、殷を以て畔く。諸れ有りや。」曰く、「然り。」曰く、「周公は其れ將に畔かんとするを知りて之に使むるか。」曰く、「知らざるなり。」「然らば則ち聖人すら且つ過つこと有るか。」曰く、「周公は弟なり。管叔は兄なり。周公の過つも、亦た宜ならずや。且つ古の君子は、過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に順う。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の更むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈に徒に之に順うのみならんや。又從って之が辭を為す。」

<語釈>
○「解之」、弁解すること。○「日月之食」、日食、月食のこと。

<解説>
過ちは誰もが犯すこと。要はそれを如何に改めるかと謂うこと。言うは易く、行いは難し。今も昔も同じことである。
管叔については、蔡叔と合わせて、よく引用される話である。興味のある方は私のホームページから、『史記』周本紀、管蔡世家を参照してください。