gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『孟子』巻第七離婁章句上 七十節

2017-10-13 10:09:46 | 四書解読
七十節

孟子は言った。
「夏の桀王と殷の紂王が天下を失ったのは、民を失ったからである。民を失ったのは、民の心を失ったからである。天下を得る為には、為すべき道がある。つまり、民を得ることである。民を得る事さえ出来れば、天下も得ることが出来る。民を得る為には、為すべき道がある。それは民の心を得ることだ。そうすれば民を得ることが出来る。民の心を得る為には、為すべき道がある。民が望んでいる所のものを与えてやり集めてやり、望まないことを無理に押し付けない事だ。このように仁の心を示しさえすれば、水が低い所に流れ、獣が広野を走り回るように、自然の勢いで民は仁に帰服してくる。それゆえに、淵に魚を追い込むのは獺であり、叢に雀を追いやるのは隼であるように、湯王や武王のもとへ民を追いやったのは、桀王と紂王である。今、天下の君主の中で、もし仁を好む者がいれば、仁政を理解しないような諸侯たちが、こぞって民をその君主の基へ追いやる結果になるだろう。そうなれば、たとえ王になることを望んでいなくても、自然と王になる。ところが、今の王になりたがっている君主たちは、七年間も病に臥せっていながら、乾燥させて使用できるようになるまで三年もかかる艾を今求めるようなものである。だからと言って、今からでも艾を手に入れる準備をしなければ、一生かかっても手に入れることはできない。これと同じで、今、仁政に志さなければ、生涯つらい思いをし、辱めを受け、やがて身は死し、国は亡ぶことになる。『詩経』(大雅の桑柔篇)に、『今の行いは、どうして善いと言えるだろうか、相俱に乱亡の世の中に堕ちてゆくだけだ。』とあるのは、この事を言っているのだ。

孟子曰、桀紂之失天下也、失其民也。失其民者、失其心也。得天下有道。得其民、斯得天下矣。得其民有道。得其心、斯得民矣。得其心有道。所欲與之聚之、所惡勿施爾也。民之歸仁也、猶水之就下、獸之走壙也。故為淵敺魚者、獺也。為叢敺爵者、鸇也。為湯武敺民者、桀與紂也。今天下之君有好仁者、則諸侯皆為之敺矣。雖欲無王、不可得已。今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。苟為不畜,終身不得。苟不志於仁、終身憂辱、以陷於死亡。詩云、其何能淑。載胥及溺。此之謂也。

孟子曰く、「桀紂の天下を失うや、其の民を失えばなり。其の民失う者は、其の心を失えばなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば、斯に天下を得。其の民を得るに道有り。其の心を得れば、斯に民を得。其の心を得るに道有り。欲する所は之を與え之を聚め、惡む所は施す勿きのみ。民の仁に歸するや、猶ほ水の下きに就き、獸の壙に走るがごときなり。故に淵の為に魚を敺(かる)る者は、獺なり。叢の為に爵を敺る者は、鸇(セン)なり。湯・武の為に民を敺る者は、桀と紂となり。今天下の君に仁を好む者有れば、則ち諸侯皆之が為に敺らん。王たること無からんことを欲すと雖も、得可からざるのみ。今の王たらんと欲する者は、猶ほ七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。苟も畜えざるを為さば、終身得ず。苟も仁に志さずんば、終身憂辱して、以て死亡に陥らん。詩に云う、『其れ何ぞ能く淑からん。載ち胥及に溺る。』此の謂なり。」

<語釈>
○「壙」、朱注:「壙」は広野なり。○「獺」、音はダツ、かわうそ。○「爵」、雀のこと。○「鸇」、音はセン、隼のこと。○「猶七年之病求三年之艾也」、趙注:今の諸侯、王道を行わんと欲して、其の徳を積まず、七年の病に至りて、三年の時の艾を求むるが如し、當に之を蓄えて乃ち得可かるべし、三年の時を以て、之を蓄蔵せずして、七年に至りて卒に之を求むるを欲す、何ぞ得可からんや。○「死亡」、「死」は自身が死ぬこと、「亡」は国が亡ぶこと。○「詩云~」、朱注:詩は大雅の桑柔篇、「淑」は善なり、「載」は則なり、「胥」は相なり、今の為す所、其れ何ぞ能く善からん、則ち相引きて以て亂亡に陥るのみ。

<解説>
特に解説することはないが、孟子は明言している、王となるには民心を得ることであり、民心を得るには、欲する所は之を與え之を聚め、惡む所は施す勿きのみ、ということである。