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『孟子』巻第十萬章章句下 百三十六節

2018-11-20 10:19:27 | 四書解読
百三十六節

孟子は言った。
「仕官するのは本来食の為ではないが、時には食の為に仕官することもある。妻を娶るのは生活上の養い手を得るためではないが、時には養い手を得るために妻を娶ることもある。食の為に仕官する者は、高い位を辞退して低い官職に甘んじ、高給は辞退し低い給料に甘んじるのがよい。それでは高位高給を辞退し、位も給料も低い官職に就くとなるとどんな職が適当かというと、門番や夜警の職ぐらいがよい。昔、孔子も生活の為に、倉庫の積み荷を管理する仕事をしていたことがあったが、『出入の計算を間違わないように努めただけだ。』と言われた。又牧畜の仕事に就かれていたことがあるが、『牛や羊がよく成長して肥えるように努めただけだ。』と言われた。このように孔子は己の職分を理解して、それを守っていた。低い地位にありながらその職分を越えて高言するのは許されないことだ。しかし朝廷で高い地位にいながら、道を行わないでいるのは、責任を果たさないことで、恥ずべき行為である。」

孟子曰、仕非為貧也。而有時乎為貧。娶妻非為養也。而有時乎為養。為貧者、辭尊居卑、辭富居貧。辭尊居卑、辭富居貧、惡乎宜乎。抱關撃柝。孔子嘗為委吏矣。曰、會計當而已矣。嘗為乘田矣。曰、牛羊茁壯長而已矣。位卑而言高、罪也。立乎人之本朝、而道不行。恥也

孟子曰く、「仕うるは貧の為に非ざるなり。而れども時に有りてか貧の為にす。妻を娶るは養いの為に非ざるなり。而れども時に有りてか養いの為にす。貧の為にする者は、尊を辭して卑に居り、富を辭して貧に居る。尊を辭して卑に居り、富を辭して貧に居るには、惡くにか宜しきか。抱關撃柝(タク)なり。孔子嘗て委吏と為る。曰く、『會計當るのみ』。嘗て乘田と為る。曰く、『牛羊茁(サツ)として壯長するのみ。』。位卑しくして言高きは、罪なり。人の本朝に立ちて、道行われざるは、恥なり。」

<語釈>
○「抱關撃柝」、趙注は、「抱關撃柝」で門番だとする。服部宇之吉氏云う、抱關は關(かんぬき)を抱くにて門番の義、撃柝は柝(タク、拍子木)を撃ちて夜回りすること。服部氏の説を採用して、門番と夜回りとする。○「委吏」、朱注:委吏は、委積を主どるの吏なり。倉庫のの荷物を管理する倉庫番。○「乘田」、朱注:苑囿芻牧を主どるの吏なり。牧畜を掌ること。○「茁」、朱注:茁(サツ)は、肥ゆる貌。成長して肥えるさま。

<解説>
現代の我々にとっては、すっきりしない内容である。当時ではこのような内容が受け入れられたのであろう。