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『孟子』巻第十三盡心章句上 百九十九節、二百節、二百一節

2019-06-06 10:16:16 | 四書解読
百九十九節
孟子は言った。
「田畑をよく耕させ、租税を軽くすれば、民は富ませることが出来る。食事は節度倹約を守り、身分不相応の礼義に外れた贅沢をさせないようにすれば、国の富は使い切れないほどになる。民は水や火が無ければ生活は出来ない。暮れ時に門をたたいて水や火を求める者がいれば、与えない人はいない。それは水や火は十分に有るからだ。聖人が天下を治めるには、豆や穀物などの食材を、水や火のように十分に足らしむるのである。豆や穀物などの食材が水や火のように十分に有れば、民も礼儀を守るようになり、不仁な者などはいなくなる。」

孟子曰、易其田疇、薄其稅斂、民可使富也。食之以時、用之以禮、財不可勝用也。民非水火不生活。昏暮叩人之門戶、求水火、無弗與者、至足矣。聖人治天下、使有菽粟如水火。菽粟如水火、而民焉有不仁者乎。

孟子曰く、「其の田疇を易めしめ、其の稅斂を薄くせば、民富ましむ可きなり。之を食うに時を以てし、之を用うるに禮を以てせば、財用うるに勝う可からざるなり。民は水火に非ざれば生活せず。昏暮に人の門戶を叩きて、水火を求むるに、與えざる者無きは、至って足ればなり。聖人の天下を治むるや、菽粟有ること水火の如くならしむ。菽粟、水火の如くにして、民焉くんぞ不仁なる者有らんや。」

<語釈>
○「易」、趙注:「易」は「治」なり。○「食之以時」、朱注:民に節倹を教うれば、則ち財用足るなり。他説有るが、朱注に從う。○「菽粟」、「菽」は豆、「粟」はアワだが、ここでは穀物を指す。

<解説>
趙岐の章指に云う、「民に教うるの道、富みて用を節し、蓄積して餘有れば、焉ぞ不仁有らんや。故に曰く、倉廩實ちて禮節を知る、と。」衣食足りて礼節を知る、ということであり、孟子の説く王道はここに有る。

二百節

孟子は言った。
「孔子は東山に登って下を見渡し、魯の国を小さいなと思い、太山に登って四方を見渡して、天下を小さいなと思った。だから海を見た者には、揚子江や黄河の大きさを言われても、大水とは思えないし、聖人の門に遊んだ者には、古の道を誦えても、至言とは思えないのである。さて水の大小を見るには方法がある。水の立てる波を観察することだ。日月の光の明らかな事は、どんな隙間も照らすということで分かる。およそ流れゆく水というものは、くぼ地が有ればそれを充たさなければ先には流れないものだが、それと同じで君子が道に志した場合にも、学問を一つづつ積み上げていかなければ、目的を達成することはできないのである。」

孟子曰く、孔子登東山而小魯、登太山而小天下。故觀於海者難為水、遊於聖人之門者難為言。觀水有術、必觀其瀾。日月有明、容光必照焉。流水之為物也、不盈科不行。君子之志於道也、不成章不達。

孟子曰く、「孔子、東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす。故に海に觀る者は、水を為し難く、聖人の門に遊ぶ者は、言を為し難し。水を觀るに術有り、必ず其の瀾(ラン)を觀る。日月明有り、容光必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」

<語釈>
○「難為水・難為言」、諸説有り、安井息軒氏云う、「難為水は、之を為せば、江河を説くも、以て大水と為さず。難為言は、之を為せば、古道を誦すも、以て至言と為さざるなり。」これを採用する。海を見た者には、揚子江や黄河の大きさを言われても、大水とは思えないし、聖人の門に遊んだ者には、古の道を誦えても、至言とは思えない、という意味である。○「瀾」、趙注:「瀾」は、水中の大波なり。水の立てる波の大小で、水の大小もわかるという意味に理解する。○「容光」、趙注:「容光」は、小卻なり、大明、幽微を照らすを言う。○「科」、趙注:「科」は、坎(あな)なり。○「不成章不達」、朱注:「成章」は、積む所の者厚くして、文章外に見わるるなり。学問を一つづつ積み上げていかなければ、目的を達成することはできないということ。

<解説>
聖人の道は大きくて遠いものであるが、其の本にたどり着くには、一歩一歩進んでいかなければならないことを述べている。何事も積み重ねが大事なのである。

二百一節
孟子は言った。
「鷄が鳴くと起き、勤勉に善をなす者は聖人舜の類である。鷄が鳴くと起き、せっせと怠らず利益の為に行動する者は盗人の盗蹠の類である。舜と盗蹠との違いを知ろうと思えば、ほかでもない、目的が利害であるか善であるかを知ればよいのである。」

孟子曰、雞鳴而起、孳孳為善者、舜之徒也。雞鳴而起、孳孳為利者、蹠之徒也。欲知舜與蹠之分、無他。利與善之閒也。

孟子曰く、「雞鳴きて起き、孳孳(シ・シ)とし善を為す者は、舜の徒なり。雞鳴きて起き、孳孳とし利を為す者は、蹠の徒なり。舜と蹠との分を知らんと欲せば、他無し。利と善との閒なり。」

<語釈>
○「孳孳」、朱注:「孳孳」は、勤勉の意。○「閒」、隙間の意、隔てているものの違いを言う。

<解説>
君子は常に善をなさんとし、小人は常に利を考える。利を排斥し、善の道に務めることを言う。しかし利は大きな魅力であって、それを排斥するのは難しい。君子の道は為し難しである。