令和3年12月1日 発行
著者は1957年東京生まれ。国際商科大学(東京国際大学)卒。上毛新聞社で12年間記者生活を経て作家として独立。「クライマーズハイ」「64」などの作品がある。
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何故この本を持っているのだろうということがあって、たいがい自分の記憶から消えているだけなのだけど、この本もその一冊。未読の本を置く棚に紀伊国屋書店のブックカバーが付いたまま鎮座していた。たぶん時間調整で本屋に入った時に買ってしまったものだと思う。だから本屋には行きたくない。何がしら買ってしまうから。
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桂離宮を再発見した建築家ブルーノ・タウト。彼は1933年、社会主義者的傾向をナチスに目をつけられ秘書のエリカを伴い日本へ亡命する。妻と子をドイツに残しての逃避行。日本滞在期間は3年半。その間、タウトは建築物を一棟も残していない。日本はドイツとの関係を考慮しタウトに表立った活動を許さなかった。タウトは建築設計に優れていただけでなく工芸デザインも秀でており群馬県の高崎に居を移し工芸デザインの指導を始める。日本での将来を憂い1936年、タウトはエリカを伴い大学教授招聘に応じてトルコへと旅立つ。トルコ時代のタウトは建築家としての生活を取り戻すが、それに時間を費やし建築物は残したが日本滞在中のように著作や日記は残さなかったと言われる。1938年、心臓疾患でこの世を去る。遺骸はトルコのエディルネ門国葬墓地に埋葬されたがタウトの遺品のほとんどはエリカの手によって日本に持ち出されたという。タウトは自分の死に場所は日本だと言ったとも。
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建築家の青瀬は「平成すまい200選」に選ばれた渾身の作品「Y邸」を信濃追分に建てた。引っ越したはずの一家からは音沙汰無し。よくある事。建築家自身が住みたい家を建ててほしいと言う依頼であったが、住んでみて結局気に入らなかったか。Y邸を知った別の依頼主からY邸は空き家ではないのかという連絡がはいる。いぶかった青瀬は現地へ行ってみる。依頼主の一家はそこに住んでいなかった。残されていたのはタウトの椅子一脚だけ。
青瀬は依頼主の今を探しはじめる。高崎、伊豆、仙台と巡るうちに遠い昔の父の死と関係した意外な事実が紡ぎ出された。
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家族、友人、仲間、仕事が見事に描かれています。たいへん面白い作品でした。
(2022年6月 私物)
(2022年6月 私物)