投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

民具が語る日本文化(2)

(1)の続き。

「民具が語る日本文化」 河出書房新社(2)

・対談 日本文化の東西差と民具 佐々木 高明・神崎 宣武

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中部日本から東北 ナラ林帯(ブナ林帯)
西日本      揚子江以南 照葉樹林帯
二つの異なる文化圏

雑穀の場合、ばら撒きでok
焼畑 雑穀 農耕具は不要

囲炉裏と手鍋  東日本
釜・竈     西日本 4~6世紀

竈 6世紀 半島系 陶質土器をはじめとする

地床型・土座型の民家 東日本、北陸 ← 広間型の間取り 広間の真ん中に囲炉裏

分棟型住居 東南アジアには多くない

囲炉裏 蒸すことができない
    モチ種の穀物のには不向き
    モチ種は粒のまま料理する時は必ず蒸す
    囲炉裏にはヒエ・シコクビエが向く

横杵  中国雲南-揚子江、一部朝鮮
    雑穀の脱穀は竪杵

    モチと関係、蒸し器と結びつく

    アジアでは横杵は珍しい

甑(こしき)と蒸篭(せいろう)

    この二つは系統が別
    甑はオコワを作るためのもの
    蒸篭は小麦の調理法 華北一帯 アワ

分棟  釜屋は棟である必要はない
    屋外に石を三つ並べればok

竈   BC4000年 仰韶文化

朝鮮  一時期ナラ林文化にあった
    中国の影響を強く受けすっかり塗りつぶされた
    朝鮮の民具は原型をとどめていない
    民具の展示はあるが資料としての価値なし

中国と朝鮮には民具は残っていない

竈・羽釜・蒸篭 中国東北 アワと関係する

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■囲炉裏と竈

囲炉裏は蒸すことができないと書いてあるのは、鍋を上から吊るすから。鍋に水を張って湯を沸かしその上に甑をのせるのには無理がある。ここで止まってしまう。もっと想像できるんだが、想像でしかない。物が残っていない限り良くわからない。実際、囲炉裏で使う鍋も鉄のものしか今は残っていないから、それ以前はどうだったかというと分からないのだ。専門家はそれなりに正直なものだと思う。素直に分からないと書いてある。そして条件をつけた上で土器の時代の形状を書いてある。対談だから会話形式になっているんだが素朴な疑問もそのまま書かれている。例えば「鍋を吊るす蔓が燃えないようにするには土器ではどうするか」とか。

モチ種の穀物は蒸して調理するのが普通だから囲炉裏で使える甑の遺物が出てこない限り、囲炉裏が普及した地域ではモチ種の穀物は作ってなかったろうというと言うことになる。ところが遺物どころか囲炉裏の発展過程がはっきりしないから困ったものだ。これあくまで民具の研究者の考えで考古学者は一生懸命炭化した穀物を探してきて別の意見を言うことだろう。

甑(こしき)は南方型。モチ種と関係する。
蒸篭(せいろう)は北方(大陸)型。アワと関係する。竈(かまど)とも関係する。

■分棟型

分棟型の住居は日本の沖縄・九州から茨城県まで太平洋岸一帯に存在した民家形式で、釜屋と呼ばれる炊事棟と主屋が別になる形式の家。見ればすぐ分かるものからチョット目には分からない奈良県などの高塀造り、九州有明海沿岸の漏斗型の屋根を持つものなど色々ある。鎌倉時代の武士の住居なども分棟型。朝鮮では済州島にも分棟型の住居があった。

黒潮との関係で話されることが多いのだが、その大元はどこかと言う問題がある。朝鮮では黒潮の分流がたどり着く済州島でしか例が報告されていない。東南アジアをここでは上げている。東南アジアには分棟型の住居は多くないから関係を結びつけるのはどうかと思うが、釜屋に屋根がある必要はないのではないか?であれば否定できないといっている。

今現在、東南アジアで多い住居形式はロングハウスというもので、高床の切妻屋根の家。なんでロングハウスかというと長いから(笑)。

鎌倉武士は朝鮮系日本人と言う意見を司馬遼太郎さんも本で書いておられたが、住居からみるとどうだろうか。住み方というのはちょっとやそっとでは忘れないし変えれないものだと思うが。私は鎌倉武士が朝鮮系なんていうのは与太な話だと思っている。

■中国と朝鮮

朝鮮半島が人も文化も古い時代の原型をとどめていないと言うのは、もう異論のないことなのだろう。中国もそう。ここでは中国と朝鮮半島の民具については、もう何がなにやらさっぱり分からない絶望的な状態のような話がかかれていた。

遠い古い時代に朝鮮半島の一部の人と文化が日本と同じであったということは、私もそう思っている。ただ今現在の朝鮮人韓国人がそれを言うときは、すっかり入れ替わった彼らが今の感覚で言うわけだから、ちょっと違うんじゃないかと言わざるをえない。住居からオンドルを取り払い、食事の作法から飯匙を外し、儒教を忘れ、ハングル文字を捨てた朝鮮人韓国人の話が聞いてみたい。

私は漢字しか文字を知らない百済人と今出会っても言葉は通じないかもしれないが筆談できると思っている。漢和辞典を片手に会話が成立するんじゃないかと思っている。実際、百済の遺物から出る金石文字(石や鉄などに刻み込んだ文字)を読んでもそのまま読める。つまり漢文ではないということ。今の朝鮮人韓国人よりはるかに百済人の方が今の日本人に近しい関係であると思っている。

※オンドルが朝鮮半島に普及するのは李氏朝鮮になってから。
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