シラクーサの聖ルチア聖堂の横手の門には錠が掛かっていた。
「サンタ・ルチアはいま修復中です。」
と出て来た神父がいう。
「えっ?それを見に来たというのに!」
彼は両手を上げる。
「悲しいのはあなただけじゃない。私も、です。ここは、空ろですよ。」
「どんな絵です。どんな?」
「素晴らしい。ほら、カラヴァッジォの絵がいつもそうなように、見れば見るほど、浮き出してくるようでね。フォルテ、フォルテ!(強く、強く!)」
青いシャツの肥えた少年が私の手に「聖ルチアの埋葬」の絵葉書をのせた。
見れば、空間がこわれている。
視点を失った眼は、不安に画面をうつろっている。
マルタ島で徒に時を費した私にはもうわずかな時間しか残されていない。
メッシーナへの汽車に飛び乗る。
フェラゴスト(夏休み)が終って、一斉にドイツに帰る出稼ぎのシチリア人達で手洗いまで満員な列車だ。
立ちつくし渇き切った私には、カラヴァッジォの逃走が気違いじみたものに見えてくる。
彼は一枚の絵を描き上げる間にしかもう一ヶ所に留まらない。
信じられないことだ。
メッシーナの「ラザロの復活」は、今までに見たどの絵とも違う!
非常に強い。
色も、光も、闇も強い。
私は永い間茫然とそこに居た。
かつてなかったものがそこにある。
マルタからシラクーサに来た時、カラヴァッジォに新しい何かが起ったのだ。
カラヴァッジョ《ラザロの復活》部分
1609年、380×275cm
メッシーナ州立美術館
若桑みどり「カラヴァッジォを追って」
芸術新潮 1973年11月号