東京でカラヴァッジョ 日記

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【その3】大英博物館展-100のモノが語る世界の歴史(東京都美術館)

2015年04月25日 | 展覧会(その他)

大英博物館展-100のモノが語る世界の歴史
2015年4月18日~6月28日
東京都美術館


4/18開催の「大英博物館展ナイト」に参加させていただいた。

印象に残ったモノを記載する。
今回は、後半の第5~8章。


第5章:広がる世界(11点)
 300-1100年

049≪カロリング朝の象牙彫刻≫
 800年頃、おそらくドイツ・アーヘン、大英博物館蔵

 『古代復興で民族の成果を』
 このような小型の象牙彫刻は結構好みである。
 Bunkamuraの「ボッティチェリとルネサンス」展でも、時代は随分下るが、1500年前後制作の≪「スザンヌの物語」が彫られた櫛≫を興味深く見た。
 このモノに彫られているのは、一般的な物語、受胎告知、キリストの降誕、東方三博士の礼拝である。人物描写が楽しい。


第6章:技術と芸術の革新(17点)
 900-1550年

060≪聖エウスタキウスの聖遺物容器≫
 1210年頃、スイス、バーゼル、大英博物館蔵

 『古代ローマ将軍の贅沢すぎる遺骨入れ』
 豪華。ヘッドバンドには、ローマ時代の宝石も再利用されているという。台座には十二使徒が彫られる。

064≪イフェの頭像≫
 1300-1400年代初期、ナイジェリア・イフェ、大英博物館蔵

 『アフリカの驚異的リアリズム』
 1939年、建設業者が家の基礎部分を掘っていたとき、他の16個の彫像類とともに偶然に発見。
 これらが中世のアフリカで制作されたことがわかると、アフリカの歴史と文化に対するヨーロッパ人の認識が大きく変わったという。


第7章:大航海時代と新たな出会い(16点)
 1500-1800年

078≪宗教改革100周年記念ポスター≫
 1617年、ドイツ、大英博物館蔵

 『プロテスタントの宣伝ツール』
 宗教改革100周年を記念して作られたポスター。
 画面左、ルターが教会の扉に羽根ペンで何か(「95カ条の論題」)を書いている。
 その羽根ペンの羽根先は、画面中央に大きく伸びて、真ん中の男の頭から教皇冠を落とそうとしている。その男はレオ10世(メディチ家出身、在位:1513-1521年)。
 画面右には、神聖なる一筋の光のなかに座り、聖書を読むルターの姿がある。
 このモノ制作の翌年、三十年戦争が始まる。

080≪ベニン王国の飾り板≫
 1500-1600年、ナイジェリア、大英博物館蔵

080-1 オバとヨーロッパ人

080-2 クロスボウを持つヨーロッパ人 


080-3 火縄銃を持つヨーロッパ人


 『「ヨーロッパ人」との遭遇』
 16世紀のポルトガルとベニンの貿易。
 ベニンは、象牙、胡椒、やし油などの贅沢品、奴隷などを輸出し、ポルトガルはその対価として、「マニラ」と呼ばれる大きな真鍮や青銅の腕輪を大量に持ち込んだという。
 これでベニン側が見合うのか疑問だが、その腕輪を溶かしてこのような飾り板を作る。
 これら飾り板は、1897年に英国が侵略するまで、ベニン国外の人目に触れることはなかったため、ベニンの人達の暮らしを伝える貴重な資料であり、ヨーロッパ人との出会いをアフリカ人側から見た記録にもなっている。これらは侵略時に英国に持ち去られ、やがて世界の博物館に散逸する。

 01:二人に従者を連れたベニン王国のオバ(民衆の精神的支柱+政治的な最高権威)、背景に小さく彫られた二人の人物が、ポルトガル人。

079≪ナイジェリアのマニラ(奴隷貨幣)≫
 1500-1900年、ナイジェリア、大英博物館蔵

 「マニラ」の実物が50個展示(数えてないが)。これが『奴隷一人の価値は?』の答え。
 主にヨーロッパで製造され、西アフリカとの商人との取引に使われたという。
 マニラは、もとは富を誇示する装身具としての役割があって、それが故にヨーロッパ側から貨幣的な役割を付されたのだろうけど、これで西アフリカ側は見合っていたのか?


第8章:工業化と大量生産が変えた世界(14点)
 1800-

092≪アメリカの選挙バッチ≫
 1868-1993年、アメリカ、大英博物館蔵

093≪ロシア革命の絵皿≫

 1919年、ロシア、大英博物館蔵

 「大量生産が支えた政治運動」vs「革命を美化する宣伝道具」。
 隣り合わせ展示で東西冷戦を表わしている?

095≪アフガニスタンの戦争柄絨毯≫
 1980-1989年、アフガニスタン、大英博物館蔵

 1979年のソ連軍侵攻をきっかけとして始まった戦争柄絨毯。
 ソ連兵は角の生えた悪魔として描かれる。
 通常なら花や鳥のモチーフであるべき場所に、爆発の場面や正確な方まで見分けられるほどの戦車やヘリコプターの模様がある。
 今日でも生産されつづけているということは、結構売れるのだろう。

097≪銃器で作られた「母」像≫
 2011年、モザンビーク、大英博物館蔵

 『銃から生まれた平和のシンボル』。
 1976年から1992年までのモザンビーク内戦で廃棄処分された銃器だけを使って作られている。
 1995年、ある司教が「銃を鍬に」プロジェクトを開始、地元の4人のアーティストが武器を切断し、部分を溶接して作品を作り始めたという。  
 2014年の国立新美術館「イメージの力-国立民族学博物館コレクションによる」展でも印象的だった。


以上、後半の第5~8章で10点。

1点1点それぞれが、人類の歴史を多様に語ってくる。
それを受け止めるには力不足の私だが、拙いレベルでも思いを馳せるのは楽しい。
非常に刺激的な展覧会である。

記載は、その3で終了。
再訪し、実物を見てさらにいろいろと想いを馳せたいと思う。
このような機会を設けていただいて、「大英博物館展ナイト」企画・運営関係者の方々に感謝いたします。


※会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。



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