カラヴァッジョ展
2016年3月1日~6月12日
国立西洋美術館
本展には、イタリア・バロック最大の女性画家アルテミジア・ジェンティレスキの作品が1点出品されている。
世界初公開のカラヴァッジョ《法悦のマグダラのマリア》の隣にある。
アルテミジア・ジェンティレスキ
《悔悛のマグダラのマリア》
1640年代中頃-50年代初頭
86×72cm
ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館
アルテミジアは、1593年ローマに生まれる。
父は、カラヴァッジョと交遊があり、その影響を受けたオラツィオ・ジェンティレスキ(1563-1639年)。父の作品は、2001年の回顧展でも本展でも各1点出品されている。
アルテミジアは、父から絵画の技巧を学ぶ。
1613年、アゴスティーニ・タッシ事件裁判後、フィレンツェの芸術家ピエール・アントニオ・シアテッシと結婚し、フィレンツェへ移住。4人の息子と1人の娘(諸説あり)を持つ。フィレンツェでは、メディチ家の大公コジモ2世の庇護を受ける、女性画家として初めて同地の絵画アカデミーに入会するなど、目覚ましく活躍する。
1621年、ローマへ戻るが、期待したほどの評価が得られず、1627年ヴェネツィアへ移住する。
1630年、ナポリへ移住。以後は数年間のロンドンへの滞在を除いて、晩年までこの地に留まる。
1638年、ロンドンに旅行し、チャールズ1世お抱えの王室宮廷画家となっていた父と再会。父の仕事を手伝い、1639年の父の突然死以降も滞在したが、1642年にナポリへ戻る。
1654年以降に死去(同年を最後に彼女に関する記録が途絶えている)。
彼女の度重なる転居は各地にカラヴァッジョの様式を持ち込むこととなる。
以上、wikipedia参照。
なかなかアルテミジアの作品を見る機会がないなか、こうして1点来日してくれたことを喜ぶ。
と、素直に喜んでいたら、実は、本作はグイド・カニャッチ(1601年伊・リミニ近郊生-1663年ウィーン没)作説もあるという。
というか、もともと作者に諸説があった本作、近年はカニャッチ作とされ、現に2008年にイタリア・フォルリで開催されたカニャッチの回顧展にカニャッチ作として出品されている。
しかし、本展の協力者が新たにアルテミジアへの帰属変更を唱え始める。劣勢な自説、日本で「新発見の真筆」の隣に展示し、挽回を図る、ということか。わざわざ日本でやらなくてもいいのに。
なお、本作がカニャッチ作だとすると、その制作時期は1626-27年と、20年ほど繰り上がるらしい。
帰属の問題は素人にはわからない。そもそも、アルテミジアもカニャッチもなかなか日本で見る機会はない。
近年来日した二人の作品といえば
2010年、国立西洋美のカポディモンテ美術館展に。
アルテミジア
《ユディトとホロフェルネス》
1612-13年
ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
2009年、国立新美の THE ハプスブルグ展に。
カニャッチ
《クレオパトラの自殺》
1658年
ウィーン美術史美術館蔵
う~ん、どちらに近い?
もう1点ずつ、いつか実見したい代表作の一つ。
アルテミジア
《スザンナと長老たち》
1610年
ヴァイセンシュタイン城、ポンマースフェルデン
カニャッチ
《マグダラのマリアの被昇天》
1640年頃
アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン