日伊国交樹立150周年特別展
アカデミア美術館所蔵
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
2016年7月13日~10月10日
国立新美術館
カルロ・クリヴェッリ。
1430-35年頃、ヴェネツィア生。1457年の裁判で「フランチェスコ・コルテーゼなる船乗りの妻タルシーアを誘惑、数ヶ月にわたり同棲した」かどにより「禁固6カ月と200リラの罰金」の判決を受ける。出獄後、ヴェネツィアを去ることを余儀無くされたらしい。ダルマティア地方(クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯)滞在後、マルケ地方に移り、居を構え、数多くの多翼祭壇画を制作する。1495年、マルケ地方のアスコリ・ピチェーノで死去。
ヴァザーリの『芸術家列伝』に取り上げられなかったこと、19世紀には大作の祭壇画が解体され世界各地の美術館に散逸してしまい、その再構成もままならないこと、そもそもマルケ地方自体が今でも地味であるらしいこともあって、まだまだわからないことが多い画家のようである。
本展へのクリヴェッリ作品の出品は、多翼祭壇画の一部とされる小品2点。
No.3《福者ヤコポ・デッラ・マルカ》
70×33cm
No.4《聖セバスティアヌス》
70×33cm
アカデミア美術館は、この多翼祭壇画の一部とされる小品を4点所蔵しており、本展には2点が出品されたこととなる。残る2点を確認する。
《聖エミディウス》
70×33cm
《聖ロクス》
70×33cm
クリヴェッリらしい硬質で神経質な描写がうかがえる作品。赤外線調査により、異なる画家の手が入っていることが判明し、現在ではクリヴェッリと工房の作と考えられているという。
日本でクリヴェッリの作品を見る機会はなかなかない。
私の記憶の範囲では、2014年開催の「ポルディ・ペッツォーリ美術館」展に1点出品。小品中の小品である。
《キリストの血を受け取る聖フランチェスコ》
20×16.3cm
実は、国立西洋美術館もクリヴェッリ作品を1点保有している。旧松方コレクション。国内の所蔵家の手を経て、1962年に購入。
《聖アウグスティヌス》
1487/88年頃
140.7×39.5cm
結構なサイズ。私は実見した記憶がない。常時展示しているわけではない。HPによると、今は展示していないようだ。
なので、クリヴェッリ作品の鑑賞は、専ら書籍図版を通して。
美術史では著名な画家なので、イタリア・ルネサンスに関する画集ではまず取り上げられる。
例えば、小学館の『世界美術大全集 西洋編第13巻 イタリア・ルネッサンス3』では、カラー図版で4作品、白黒図版で2作品、画家解説も2頁強ある。
一方、単独の書籍は、私の知る範囲では2冊(よくぞ2冊も)。
1冊は、1995-1997年に刊行された画集「ピナコテーカ・ トレヴィル・シリーズ」全10巻のうちの1巻。
クリヴェッリを取り上げるシリーズだから、他の9巻もマイナーな画家・流派揃い。
全10巻の内容は、
第1巻 モンス・デジデリオ
第2巻 ジョン・マーティン
第3巻 カルロ・クリヴェッリ
第4巻 フォンテーヌブロー派
第5巻 ティントレット
第6巻 リヨン派
第7巻 ハドソン・リヴァー派
第8巻 ティエポロ
第9巻 イタリアのマニエリスム
第10巻 北方のマニエリスム画集
その半分は、当時初めて聞く、そして今もほぼ縁のない画家・流派。
書店で頁をめくると面白そうな感じだったが、いかんせん100頁前後で3,700円(税別)と、気軽に購入できる価格ではない。
結局、興味関心、内容充実度・満足度、将来の同種書籍の入手可能性など総合的に見て、価格に見合うだろう、と判断したクリヴェッリ1冊のみを購入した。
50点の作品のカラー図版(一部作品には部分拡大図版も)に、8頁ほどの画家解説。作品ごとの解説はほぼないものの、クリヴェッリ作品の魅力に接することができる画集となっている。当たりである。
その後出版社がなくなり、残念ながら絶版。10巻中、第1巻と第2巻は事業を引き継いだ出版社から7年前に復刊されたようだが、第3巻以降の復刊は今のところない。
もう1冊は、
石井曉子著
『カルロ・クリヴェッリーマルケに埋もれた祭壇画の詩人』
講談社出版サービスセンター刊
本書については、拙ブロク開始当初に記事にしている。
個人的には、著者の2001年と2006年の2回のクリヴェッリへの旅の章、特に目的の作品に辿りつくこと自体が一大事業だった1回目の旅、が好み。
今回改めて確認すると、クリヴェッリの書籍が1冊増えている。石井氏が2冊目の著書を出していた。
石井 曉子
『カルロ・クリヴェッリの祭壇画』
講談社ビジネスパートナーズ刊
2013年刊、59頁、3,800円(税別)(AMAZONによる)。
「世界各地に散らばって飾られているカルロ・クリヴェッリの作品が、元々はどの祭壇画の一枚だったのか、現在判る範囲で再構成してみた」書籍であるらしい。
興味大。まずは書店で内容確認したい。
クリヴェッリの大作の祭壇画の解体、散逸に関して。
以下、上原真依氏「19 世紀イタリアの美術品市場におけるコンフリクト ー カルロ・クリヴェッリの祭壇画売却をめぐって ー」(http://gcoe.hus.osaka-u.ac.jp/110318uehara.pdf ) を私の興味に応じて簡記。
1820年、イタリア教皇庁は、前世紀から続いていた海外への美術品流失を懸念し、美術品、考古学遺物に関する法令を発布する。
聖堂や個人が所有する絵画を売却する際には、中央へ許可申請することを義務づけたものである。
カルロ・クリヴェッリは、およそ 30 点の祭壇画を制作したが、これらの祭壇画の多くは 19 世紀初頭まで本来の設置場所の聖堂や修道院などに「放置」されていた。商品としての価値発見が比較的遅かったためだが、その市場価値が「発見」され、1811年から1870年の間に、教会関係者や地元の有力者によりパネル毎の解体が進み、次々に国内外へ売却された。
1)フォルチェにあったクリヴェッリ三連祭壇画の売却(1826年)
アスコリ・ピチェーノ近郊の小村フォルチェのサン・フランチェスコ聖堂に置かれていたクリヴェッリによる三連祭壇画が、司祭とアスコリ・ピチェーノの有識者イニャッツィオ・カンタラメッサを介して不法に売却される。
1820年の法令により各地方の教皇管轄庁は文化財委員会を設置し、聖堂保有の美術品の管理にあたることが定められていたが、アスコリ・ピチェーノでは当時まだ文化財委員会の準備段階だった。
そのため、この時期にはアスコリ・ピチェーノの教皇管轄庁を通して中央である教皇庁と、司祭・有識者の間に祭壇画をめぐる対立が生じている。
2)マッサ・フェルマーナでのクリヴェッリ祭壇画不法売却(1838-40 年)
マッサ・フェルマーナ近郊の修道院が保管していたクリヴェッリ祭壇画(正確には弟ヴィットーレの作品)を司祭が無断で売却。これに対し、マッサ・フェルマーナの村民たちの名義で教皇庁に嘆願書を提出し、祭壇画が村に必要であることが主張。
祭壇画はローマの古物商に売却されていたが、その後教皇庁より法令違反と判じられ、修道院に買い戻された。
この時期、村の住人が聖堂の美術品を自村の財産と認識し始め、守ろうとしたこと、それにより聖堂の財産を売却しただけと考える司祭との間に対立が生じている。
3)クリヴェッリの《マッサ・フェルマーナ多翼祭壇画》売却申請(1857 年)
法令に従い教皇庁に提出された売却許可申請。
マッサ・フェルマーナの司祭は祭壇画をローマで売却しようと許可を求めたが、祭壇画の注文主であったアッゾリーニ家の子孫により反対意見が提出さ れ、売却申請は却下された。
聖堂の美術品売却のための許可申請制度が浸透していたこと、そして申請中に売却反対の意見書が提出、中央で審議されたことが見て取れる。
《Polittico di Massa Fermana》
1468
184x179 cm
Massa Fermana, chiesa dei Santi Lorenzo, Silvestro e Rufino
私も東京在住の美術ファンで、ボッティチェリとその周辺画家、カラヴァッジョ、クリムトなどが主な興味の対象です。貴ブログは今年春のカラヴァッジョ展の時にカラヴァッジョ関連のブログをいろいろ探した中の1つとして、お気に入りに入れて時々見ていました。今回クリヴェリをテーマとされていたので、思い切って投稿することにしました。
クリヴェリが特別に好きで見て歩いているというわけではないのですが、以前からその妖しい魅力には惹かれています。30年近く前にアムステルダムの国立美術館へ行ったのですが、その目的はレンブラントではなく、ボッティチェリの晩年のユディトとクリヴェリのマグダラのマリアを見るためでした。しかし残念ながら2点とも展示していなくてがっかりした記憶があります。ユディトは今年初来日して長年の夢はかなったのですが、マグダラのマリアを見るために将来またアムステルダムへ行かなくてはならないと思っています。
最近の話としては、1週間ほど前にウィーンとベルリン、ドレスデンの旅行(第一目的はベルリンのボッティチェリ作品を見ること)から帰ってきたのですが、ベルリンではクリヴェリの最初の「(多翼祭壇画でない)1枚形式の祭壇画」と言われる「鍵の聖母」を見ることができました。この絵のことはトレヴィル・シリーズの吉澤さんの本にも出ていなかったので予備知識はなかったのですが、なかなかいい作品でした。なお、石井曉子氏の本は2冊とも持っていませんが、私は上野の芸大の図書館でざっと読みました。新しい方は吉澤さんの本と同じような図版が豊富な本で、また、見て歩くための資料も多くて役に立つと思います。
クリヴェリ関係で持っている本は、吉澤さんの本の他では以前イタリアで買ったファブリの画集とペルッツォの画集の2冊(ともに大判で薄い画集、イタリア語版)だけです。リッツォーリ版の全作品集が欲しいのですがまだ手に入れていません。今度イタリアに行ったら探すつもりです。リッツォーリ版はペルジーノやコスメトゥーラ、マンテーニャなどいろいろな画家のものを少しずつ集めています。
過去ログではカラヴァッジョ関係の日本における展示の歴史などを興味深く拝見しました。私も3年前に行ったイタリア旅行ではカラヴァッジョ、ベルニーニ巡りをしたのですが、ナポリではカラヴァッジョ3点のうち1点(慈悲の7つの行い)しか見られませんでした。また、上野の西洋美術館のクリヴェリ作品は数年前に見ましたが、時々展示しているようです。こういったことなどを含め、今後の展覧会や旅行の役に立つことについて情報交換をさせていただけると幸いです。よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
イタリア・ルネサンス美術が好みなので、カルロ・クリヴェッリにも興味があるのですが、まず作品の来日が望めません。このように小品が来日してくれたタイミングで、手元の書籍で魅力を再認識する程度です。
アムステルダム国立美術館の《マグダラのマリア》は、実物は図版以上の魅惑だと聞きます。一度実見したいものです。
ベルリン美術館で《鍵の聖母》をご覧になったとのこと。
手元のベルリン美術館画集(東西統合前の出版なので、正確にはダーレム美術館画集か)をめくると、載っていました。
191×196cmとほぼ正方形の大きさ。こってりとした画面、きらびやかな衣装の聖人たち。聖ペテロの持つ鍵がえらく大きいのに目が行きます。幼児イエスと遜色ない大きさ。画面下部中央、床に置かれた1個のリンゴも気になる。クリヴェッリらしい魅力的な作品かと思いました。
また、その前後の頁、ジョヴァンニ・ベッリーニ《死せるキリストとこれを支える天使》《キリストの復活》、アントネッロ・ダ・メッシーナ《若い男の肖像》、カルパッチョ《死せるキリスト》など、初期ヴェネツィア派の画家たちの優品にため息。改めてベルリン美術館の所蔵力を認識しました。
カラヴァッジョについては、次の作品来日を待つ状況ですが、いつのことになるやら。で、今はクラーナハ展に期待。
こんな感じで、拙いブログでありますが、よろしければまたお越しいただけると。
カラヴァッジョに関しては、予定していた5枚のうちウィーンのゴリアテの首を持つダヴィデが修復中で展示していなかったのは残念でしたが、残りの4枚(ロザリオの聖母、荊冠のキリスト、勝ち誇るアモール、聖トマスの不信)は見ることができました。アモールは宿敵バリオーネの競作と並んでいたので比較ができました。ポツダムへは聖トマス1枚を見るためにベルリンから半日がかりで行ってきました。
クラーナハの展覧会、楽しみですね。私はフィレンツェ派がメインであり、クラーナハやデューラーなどドイツルネサンスやヴェネツィア派はいつもはあまり時間をかけないのですが、今回はしっかり見てきました。ジョルジョーネの眠れるヴィーナス(ドレスデン)とかヴェネツィアにあるベリーニの絵とほぼ同じ構図のマンテーニャの神殿奉献(ベルリン絵画館)などがあったためです。クラーナハについては本場ドイツでもあり、ウィーン、ベルリン、ドレスデンではかなり多くの作品を見ることができました。上野の展覧会のパンフレットの表紙になっているユディトはウィーンではもう並べていませんでした。最近出版された八坂書房の本は、近くの図書館にあったので借りてきて、今読んでいるところです。
ベルリン、ドレスデン、ウィーンの美術紀行。ドイツ語圏のカラヴァッジョ巡り。充実の旅行だったようで何よりです。
ベルリン美術館といえば、2012年の国立西洋美で観たフェルメール《真珠の首飾りの少女》 。
ドレスデン美術館といえば、2005年の国立西洋美で観たフェルメール《窓辺で手紙を読む若い女》とレンブラント《ガニュメデスの誘拐》。
ウィーン美術史美術館といえば、2004年の東京都美で観たフェルメール《画家のアトリエ》や2015年のBunkamuraで観たパティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》。そして、2009年の国立新美のブダペスト国立美術館との2館展で観たクラーナハ《サロメ》は、ブダペスト所蔵ですが、クラーナハに目覚めるきっかけとなりました。ウィーン所蔵の《ユディト》を楽しみにしているところですが、現地では既に遠征準備に入っていたのですね。カラヴァッジョ《荊冠のキリスト》も2002年に東京藝術大学大学美で見ましたが、印象は薄れています。
ベルリン、ドレスデン、ウィーンは、イタリア美術も素晴らしいですが、北方ルネサンス美術も充実していますよね。ブリューゲル、デューラー、クラーナハ、ファン・アイク、ファン・デル・ウェイデン、メムリンク、ペトルス・クリストゥスなど、挙げればきりがないですが、観たい画家・作品がたくさんあります。
レンブラントのガニュメデスは、ラファエロのサン・シストの聖母の隣の部屋に展示されていて、扉がないためサン・シストの聖母に向かって進んで行くと右隣にガニュメデスが見えるという状況でした。同じガニュメデスのテーマではウィーン美術史美術館で見たコレッジョの絵(イオと対の絵)も見たので、同一テーマで別の画家が描くとどうなるかということも楽しめました。コレッジョは今まであまり関心がなかったのですが、ウィーン、ベルリン、ドレスデンで傑作を何枚も見ることができたので、今回の旅行で認識を新たにしました。(ラファエロのサン・シストの隣に飾られていた聖ゲオルギウスの聖母が気に入りました。)
ドレスデンではサン・シストの聖母が最も重要な絵ということは分かっていましたが、私はジョルジョーネの眠れるヴィーナスやフェルメールの2枚も重要な作品と思っていたら、展示場所としてはサン・シストの聖母だけが特別扱いで、眠れるヴィーナスなどは裏の方のかなり日陰の扱いという感じで驚きました。
では、長くなりましたので、この後はスケッジャのコメントで。
フェルメールはコンスタントに来日してくれるのがありがたいです。灰色作品を含めて全37点中21点の来日実績、そんな画家は他にはいないと思います。
期待込みで、あと2〜3点ほどオン可能ではないか、作品来日が話題になり観客動員につながる、それがどこまで続くのか、にもよるのでしょうけれども。
ドレスデンの《取り持ち女》は、リクレエイト作品、要は実物大の複製で見ましたが、確かにその大きさと、きつめの色彩が印象に残りました。来日を期待する1点です。
ラファエロ《サン・シストの聖母》は、1754年にドレスデンのコレクションとなって以降、ドイツの美術界にとって、とても重要な絵画なのですね。その「重要」の度合いも、第2次大戦後のソ連の接収と返還のエピソードも加わって、二人の天使のアイドル的人気もあって、他の重要作品とは次元が違う「重要」なのだ、とwikipediaを見て認識しました。
ドレスデン美術館も魅力的な作品をたくさん所蔵してますね。イタリア美術に限っても、ジョルジョーネは勿論のこと、アントネッロ・ダ・メッシーナ《聖セバスティアヌス》、コレッジョ《聖夜》やパルミジャニーノ《ばらの聖母》など。ボッティチェリの晩年作、聖遺物箱に描かれたという《聖ゼノビウスの生涯の4つの場面》も興味深い。手元の薄い雑誌の範囲ですが。
ラファエロの後期の作品(ヴァチカンの壁画以降)の代表作としては、椅子の聖母、ベラータ、フォルナリーナ、サン・シスト、絶筆であるキリストの変容などがありますが、サン・シストの聖母はヴェルフリンが著書「古典美術」で称賛しているように、ドイツ人にはこのようなモニュメンタルな作品が受けるのでしょうが、イタリアでは椅子の聖母のような愛らしさの方が受けがいいように思えます。私はラファエロの2つの側面として、どちらも良いと思います。今回ウィーンの牧場の聖母、ベルリンの初期の聖母子画数点、そしてサン・シストの聖母を見ることができたので、ラファエロでまだ見ていない主要作品はウルビーノの生家にある少年時代の聖母子の壁画、以前ペルージアで見損なったサン・セヴェロの壁画、エルミタージュの聖母子トンド、ボローニャ絵画館のチェチーリアぐらいとなりました。
ボッティチェリの聖ゼノビウスの最後の奇跡はサン・シストの聖母とともに、私がこの美術館を訪問した第一の目的です。ロンドンNGとメトロポリタンの3枚はかなり前に見たのですが、このドレスデンの1枚だけが残っていました。最晩年作なので優美さは失われていますが、ボッティチェリの生涯を語るのには外せない作品です。ボッティチェリが亡くなった時は貧しかったかというテーマが、研究者の間で長らく論じられていましたが、最近の説では兄弟の子供が相続放棄をした(負債を相続しなかった)という記録が発見されたため、ヴァザーリが芸術家列伝で書いた「ボッティチェリは貧しさのうちに亡くなった」という話は正しかったようです。(ヴァザーリは年号などの記載は不正確だが、話の内容は結構正しい?)聖ゼノビウスの絵もそのような困窮生活の中で描かれたのかという思いで眺めてきました。レンブラントの晩年と同じようですね。
ラファエロといえば、2010年のボルゲーゼ美術館展での《一角獣を抱く貴婦人》や2013年のラファエロ展での作品の数々を思い出します。
もう一つ、昔、カラヴァッジョとベルニーニ目当てで訪問したボルゲーゼ美術館で開催中だったラファエロ展。ボルゲーゼ美所蔵3点は勿論のこと、世界のブランド美術館からの出品。特に憧れの作品であったロンドンNGの《騎士の夢》やルーヴル美の《美しき女庭師》に、ローマで会うなんて、とびっくりした思い出があります。
ラファエロの残る作品は、イタリアでは、ウルビーノ、ペルージャ、ボローニャですか。
一度に連続して廻るとすると、
ボローニャ→(鉄道)→ペーザロ→(バス)→ウルビーノ→(1日1本のバス)→サンセポルクロ→(鉄道)→ペルージャ
となるでしょうか。ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡りのようになってしまいましたが、充分に日程を取る必要がありますね。
次の旅行としては、来年ミラノでカラヴァッジョ展があるという情報を聞いているので、北イタリア方面に行けたらいいと思っています。今行きたいのはトリノ、ベルガモ、ボローニャで、ボッティチェリ、フィリッピーノ・リッピ、ミケランジェロ、ラファエロ、ジョットなどを見たいと思っています。そして、その数年後にまた行けるなら、南の方でシチリアのカラヴァッジョ巡りをするか、アドリア海沿いのウルビーノ、ラヴェンナ、ロレートなどへ行き、クリヴェッリやシニョレリなどを見たいという夢を抱いています。そのクリヴェッリですが、最も見たい絵の一つであるモンテフィオーレの多翼祭壇画、マグダラのマリアについて調べたら、モンテフィオーレ・デッラーゾという町はとても行きづらい場所のようです。ミシュラングリーンガイドに簡単な案内が出ていましたが、交通のことは出ていませんでした。バス路線を調べて、行くことができるか確認しないと計画は進まないですね。
来年、ミラノでカラヴァッジョ展があるのですか。
情報ありがとうございます。早速ネット検索しました。場所は、パラッツォ・レアーレ。展覧会名は、「Dentro Caravaggio」。時期は、2017年、ただし月日の情報は見当たらない。出品作は、書いているかもしれませんが伊語なのでわからない。今後も意識して情報収集します。
イタリア旅行。拠点とする都市を一つ決めてその周辺も回る、あるいは、地域を絞ってそのなかの街を渡り巡る、そういう旅を重ねてイタリア地図を埋めていく。というのは、移動距離も少なく済みそうですし、味わい深そうですね。
ベルガモといえば、アカデミア・カッラーラ、「イタリア美術の教科書」とも言われると聞いたことがあります。思い出すのは、2013年のラファエロ展に出品された初期作品《聖セバスティアヌス》の素晴らしき甘美。個人的には、ジョヴァンニ・ベッリーニ、マンテーニャ、クリヴェッリおよびコズメ・トゥーラの《聖母子》が観たい。あと、マイナーなところで西美の2015年度新収蔵作品《楽器のある静物》の作者エヴァリスト・バスケニス。ベルガモで生涯を過ごしたとのことなので、ベルガモには作品が多数ありそう。また、街自体も興味深いらしいですね。
ボローニャといえば、2007年パルマ展に出品されたスケドーニ《キリストの墓の前のマリアたち》の大画面。それまで名前すら聞いたことがなかった画家のとんでもない傑作を目の前にして、この世界の広さを思い、感嘆した思い出があります。やっぱりラファエロの《聖チェチリア》は是非観たい。また、美食も欠かせませんね。
トリノ。シチリア。ウルビーノ、ラヴェンナ、ロレート・・・。溜息が続くことになるので、書くのは控えます。
モンテフィオーレ・デッラーゾですか。マルケ地方のクリヴェッリ巡りは、極めて難儀そうですね。路線バスの時間と開館の時間に合わせて、前後の宿泊地を調整するとなると、そこで結構旅程を食ってしまいそう。でも、挑戦しがいのありそうな旅ですね。