東京でカラヴァッジョ 日記

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アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国(東京ステーションギャラリー)

2017年06月03日 | 展覧会(その他)

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国
2017年4月29日〜6月18日
東京ステーションギャラリー

 

   アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの芸術家、スイス人のアドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)の個展。


   半端ではない創作量。


   絵と文字と音符で埋め尽くされ、余白を残さない作品は、ぱっと見、曼荼羅のよう。


   圧巻の一つが《アリバイ》という作品で、70×468cmと出品作のなかでも特大の極彩色絵巻、まるで曼荼羅、ヴェルフリワールドが全開という感じ。


   絵はなく、ただ数字がびっしりと並んだ作品《利子計算》も、数字のみであるだけに、その異様度がストレートに伝わってくる。何の利子かは知らないが、19××年から19××年までの何十年分かの利子を計算する。


   コラージュによる作品の一つに、キャンベル・トマト・スープ缶の広告を使用した作品がある。アンディ・ウォーホルに先立つこと33年前の1929年の制作。先見の明あり。

 


   出品数は74点と、創作点数からいえばごくごくごく一部なのだが、初期から晩年まで全貌をカバーする。

 

1章 初期のドローイング/楽譜(1904-1907)

   ベルン近郊に生まれ、孤独で悲惨な幼少期と生活苦、数回の犯罪。31歳のときに統合失調症と診断され、精神科病院に収容されたヴェルフリ。その4年後の1899年、鉛筆と新聞用紙を与えられ、絵を描き始める。

   初期に分類される1899年から1907年まで、200〜300の作品を描いたとされるが、1904〜1907年に描いた50点ほどが現存。これらのモノクロによる作品を「楽譜」と呼んでいた。うち6点が出品。

 

2章 揺りかごから墓場まで(1908-1912)

   「揺りかごから墓場まで」はヴェルフリが描いた物語の題名。9冊、752点の絵を含む2,970頁からなる物語。少年ドゥフィを主人公とする自伝的旅行記。22点の出品。

 

3章 地理と代数の書(1912-1916)

 「地理と代数の書」も物語の題名。「聖アドルフ資本財産」の利子により地球中の土地を買い上げて、理想の王国「聖アドルフ巨大創造物」を建造する方法を甥に説く。1916年7月23日、王国は最盛期を迎え、ヴェルフリは「聖アドルフII世」を名乗る。19点の出品。

 

4章 歌と舞曲の書(1917-1922)/歌と行進のアルバム(1924-1928)

 「歌と舞曲の書」は、聖アドルフ巨大創造物のための祝祭曲で、7,000頁以上からなる作品。「歌と行進のアルバム」も8冊5,000頁以上からなる作品。14点の出品。

 

5章 葬送行進曲(1928-1930)

 「葬送行進曲」は、自身のレクイエム。16冊8,404頁におよぶが、死により中断される。6点の出品。加えて、参考展示として2005年制作の14分37秒の朗読ビデオも用意される。呪文のよう。方言で揺り籠を意味する「ヴィーガ」。

 

6章 ブロートクンスト―日々の糧のための作品(1916-1930)

   1921年、学者が「芸術家としての精神病患者」という研究論文を発表するに合わせて、ベルン、バーゼル、チューリヒの書店にてヴェルフリの作品が展示される。
   で、ヴェルフリは、自分は芸術家であると認識・自称し、小遣い稼ぎのための作品を制作するようになる。その数1,000点、うち750点が現存。7点の出品。

 


   さすがスイスからやってきて日本を3会場巡回するだけのことはある。その創作力に圧倒される。

 



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