カラヴァッジョは、ローマにて、公的な祭壇画(聖堂内の礼拝堂の祭壇画や側壁を飾る絵画)を6つの礼拝堂で制作したという。
1 サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂
《聖マタイの召命》
《聖マタイの殉教》
《聖マタイと天使》第1作★(焼失)
《聖マタイと天使》第2作
2 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂
《聖パウロの回心》第1作★(オデスカルキ=バルキ・コレクション)
《聖パウロの殉教》第1作★(現存せず)
《聖パウロの回心》第2作
《聖パウロの殉教》第2作
3 サンタ・マリア・イン・ヴィリチェッラ聖堂ヴィットリーチェ礼拝堂
《キリストの埋葬》(ヴァチカン美)
4 サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂
《聖母の死》★(ルーヴル美)
5 サン・タゴスティーノ聖堂カヴァレッティ礼拝堂
《ロレートの聖母》
6 サン・ピエトロ大聖堂
《蛇の聖母》★(ボルゲーゼ美)
加えて、次の作品も、ローマで描かれながらも当初の礼拝堂には設置されず、ナポリで売りに出されたという説がある。
7 不明
《ロザリオの聖母》★?(ウィーン美術史美)
カラヴァッジョは、7つの公的な祭壇画の注文を受け、うち5つの注文で、別作品の納入・引取り拒否または設置後撤去の事態に陥ったこととなる。
そのような事態に陥った作品に★印を付したが、半分近くの作品に★印。これは、やはり異例な高比率なのだろう。
画家本人が出来が気に入らずに描き直しを希望したとする説がある作品もある。
注文者側が受取拒否した作品もあるが、拒否の理由は明らかではない。
そんななか、当初完成作がそのまま設置され、他の公的作品に見られた評判過熱で炎上?を招くこともなく、逆に早くから高く賞賛されたという例外的な作品が、現在ヴァチカン美術館が所蔵する《キリストの埋葬》である。
カラヴァッジョ
《キリストの埋葬》
1603〜04年、306×214cm
ヴァチカン美術館
例外的に賞賛されたのは、その「古典主義的で完璧な構成」のためであるとされる。画家のライバルであったバリオーネも、著書『画家・彫刻家・建築家列伝』(1642年)において次のように記している。
「この絵はカラヴァッジョの作品中、最高傑作だといわれている。」
このカラヴァッジョの祭壇画が設置されたサンタ・マリア・イン・ヴィリチェッラ聖堂は、ローマの司祭フィリッポ・ネリ(1515〜95。1622列聖)が創設し、1575年に認可された新興教団であるオラトリオ会の総本山。
同聖堂の建物は、1575年から新しく建て直され、1599年に献堂、17世紀初めにファザードが完成している。
聖堂内の装飾は、当時の「新興の現代美術の大展示場」といえるものであったらしい。例えば、主祭壇画《ヴァリチェッラの聖母》は、当時30歳手前であったイタリア留学中のフランドル人ルーベンスに注文されたものである。
カラヴァッジョの本作品は、1600年に没してヴィットリーチェ礼拝堂に葬られたピエトロ・ヴィットリーチェのために、1602年にその甥が注文し、1604年9月に設置された。
キリスト以外の5人の登場人物(本展公式Twitterを参照)。
青:キリストの下半身を抱えている「ニコデモ」(アリマタヤのヨセフとする説もあり)
白:キリストの上半身を抱えている「福音書記者ヨハネ」
赤:キリストの後ろで手を広げている「聖母」
緑:涙に暮れている「マグダラのマリア」
黄:天に目を向けて両手を広げている「クロパの妻マリア」
1604年までに設置された《キリストの埋葬》は、193年間、その礼拝堂にあり続けたようである。
1797年、ローマを占領したナポレオン軍によってパリに運ばれる。ルーヴル美術館(ナポレオン美術館)に展示されたという。フラゴナールやジェリコーが模写を残し、ダヴィッドが自作品に応用したらしいが、このときのルーヴルで見たのだろう。
1815年、返還交渉の結果、ローマに返却される。何故か元の聖堂ではなく、ヴァチカンに入る。
元の聖堂には、チロル出身の画家Michelle Koeck(1760〜1825)による模写作品が設置されている。
#カラヴァッジョ展 #キリストの埋葬
— カラヴァッジョ≪キリストの埋葬≫展 (@caravaggio2020) January 21, 2020
2020年10月 #国立新美術館 で開幕!
現在のローマのサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂にある《キリストの埋葬》は模写です。本物はバチカン美術館で展示されています。#カラヴァッジョ #展覧会 pic.twitter.com/KmSmJRZ2DV