石岡瑛子
血が、汗が、涙がデザインできるか
2020年11月14日〜21年2月14日
東京都現代美術館
石岡瑛子(1938〜2012)。
アート・ディレクター、デザイナーとして、多岐にわたる分野で新しい時代を切り開きつつ世界を舞台に活躍する。
その名前を本展開催により初めて知るほどのオンチの私。
さすがに前田美波里が登場する資生堂ポスターの存在は過去の話として知っていたものの、石岡の名前とは結びついていない。
ホネケーキ石鹸は知らないし、大阪万博のポスターも、パルコのポスターも、角川文庫のポスターもこれまで見た記憶がない。
(本展により、角川文庫が文芸・教養路線から大衆路線に路線変更した際に、表紙カバーを文庫共通ではなく作品ごとの独自カバーとする対応に、石岡が大きく関わっていたことを知る。)
そして、世界で活動するようになる石岡。
M・バタフライも、オペラ忠臣蔵も、ミシマも、ドラキュラも知らない。
ターセム・シンの映画は一つも知らない。シルク・ドゥ・ソレイユ(サーカス)は名前を聞いた記憶はあっても関心を持ったことがない。北京五輪の開会式も入場行進以外は興味がない。オランダ国立オペラでのニーベルングの指輪は知る由もない。
(シルク・ドゥ・ソレイユの映像が上映されていたが、凄い、大迫力。)
(北京五輪開会式のショーの映像が上映されていたが、これも凄い、大迫力。中国らしい大量の演者動員。このご時世では同じようなことをやろうとしても、本番に至るまでにクラスター多発だ。ロンドンやリオがどんなものだったのか知らないが、東京はどうするつもりなのだろう。)
(ニーベルングの指輪の映像が上映されていたが、非常に良かった。)
そのような私が本展に行く気になったのは、本展が評判になっているらしいことと、もう一つ、1991-92年にBunkamuraザ・ミュージアムで開催された「レニ・リーフェンシュタール 映像の肉体と意志」展に石岡が関わっていると知ったことによる。
29年前の「レニ・リーフェンシュタール」展、その展示内容は忘れたが、その熱量に、美術展鑑賞を始めて間もない頃の私はすっかり参ってしまったことを覚えている。
本展での同展に関連する展示は、展覧会のポスター、図録(閉じた状態で表紙のみ)、展示風景写真1点。
しかし、アフリカ・ヌバ族を被写体とした写真集にNYの書店で出会い衝撃を受けた石岡が自ら企画して動いたからこそ、1980年の西武美術館の写真展「ヌバ」があり、1991-92年の同展があったことを認識する。
国境を超えた大規模なプロジェクトにおいて、芸術家・俳優・職人ほかビジネス関係者たちと協働し、自らの目指すところを実現させるためのコミュニーケーション・ツールとしての「平面的に図式化された大判の鉛筆画」。
武器としてのツールの重要性は理解するので、その世界のことは分からないながらも感心する。
そして、石岡の活動の凄さを真に理解できる能力はないながらも、石岡の熱量、そして本展企画者の石岡を語る熱量を浴びる。