東京でカラヴァッジョ 日記

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「お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~」展(昭和館)

2022年08月22日 | 展覧会(その他)
 
お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~
2022年7月16日〜9月4日
昭和館
 
 プロローグで戦前の、第1章で戦中の、第2章で戦後の、キャラメルを中心とするお菓子の記憶を見る。
 
 
第1章「戦争とお菓子」
(1)「変わりゆくお菓子の役割」より、2選。
 
「森永ミルクキャラメル」広告ポスター
 
 本展のメインビジュアル。
 昭和14年、日中戦争中の広告ポスター。
 「兵隊ごっこをする少年の絵柄は、それまでの広告と様変わりして戦時色が濃く出ている。」
 
 洋画家・平岡権八郎の画。
 平岡は、洋画家というよりも、東京京橋竹川町の料亭・花月楼の跡取りであり、同じく洋画家である松山省三とともに「カフェ・プランタン」の経営者であったことで名を知られているようである。
 
 
「戦線で喜ばれる献納慰問袋」
 
 昭和14年10月、「陸軍省後援 戦線で喜ばれる献納慰問袋の會」作成。
 慰問袋の中身について、推奨する品を細かく記す。
 本展との関係では、「ポケットに入るかさばらない食料品」としてドロップ、キャラメル、グリコが推奨されている。
 
 私的には、末尾の
・軍隊から支給される日用品(品として推奨しないということか)
・郷土部隊宛ばかりではなく、一般他部隊にも行うよう留意ください。
・着くまでに2カ月くらいかかることもあることも踏まえて品を考えてください。
・「支那方面出征の兵隊」ばかりではなく、「満洲方面出征の兵隊」にも送ってください。
が気になる。
 
 この資料が作成された頃は、商機と見たデパートが既成の慰問袋セットを販売したり、マスコミがさかんに取り上げたりと、ブームとも言える状況であった模様。
 その後、次第に人々の熱が下がってきたのか、人々が現物より現金のほうがよいと考えるようになったのか、現地の輸送力逼迫により行き渡らなくなってきたのか、送られる数が減少していったらしい。
 昭和19年には戦局の悪化を背景に、海軍省が辞退の発表を出したという。
 
 
(2)「消えゆくお菓子と子どもたちの生活」
 
 昭和16年には、菓子の配給切符(乳幼児、児童、病人などに限定)が導入。
 昭和19年には、家庭用砂糖の配給停止、さらには学童疎開と、子どもたちは甘味の乏しい生活を送る。
 
 
第2章「終戦を迎えて」
(1)「物資不足の中で」
 戦後も、配給制度が続く。
 カルメ焼き、ギブミーチョコレート、ララ物資など。
 
(2)「新たな出発〜生産復活と大量消費時代〜」
 昭和25年に菓子類価格統制が解除、昭和27年に砂糖と小麦粉の配給統制が撤廃され、製菓会社も徐々に復活。自由販売が可能となって以降は、製菓会社間での販売競争が始まる。
 カバヤ、紅梅、グリコのおまけ付きキャラメルなど。
 
 
 展示数は多くはないものの、昭和10〜20年代の菓子を巡る情勢から、当時の人々の生活をかいまみる。


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