イタリア北部の画家ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-99)。
独自の色彩分割技法によりアルプスの風景を描いたことで、「アルプスの画家」として知られる。
その後、アルプスの風景に母性や生命などの内省的なテーマを結びつけるようになり、象徴主義の傾向を示す。41歳で急死。
松方コレクションには、セガンティーニ作品が4点あった。
そのうち3点が、現在、国立西洋美術館にある(2点が所蔵、1点が寄託)。
いずれも、画業前期、独自の色彩分割技法あるいは象徴主義の前の、写実的作品であり、松方の好みが伺える。
もう1点、《水を飲む馬》という油彩画は、所在不明、画像や作品データも不明であるようだ。おそらく3点と似た画風の作品なのだろう。
現在(2022年7月)、国立西洋美術館では、セガンティーニ作品3点すべてが展示されている。
2点が企画展「自然と人のダイアローグ」展、1点が常設展での展示である。
ジョヴァンニ・セガンティーニ
《羊の剪毛》
1883-84年、117×216.5cm
本作は、画家が1881年にミラノから移り、1886年にスイス・サヴォニンに移るまで居住したイタリア北部のコモ湖畔の村ブリアンツァにて制作。
画家は、1887年に《光のコントラスト》を制作する際に、一度手元を離れた本作を借り戻し、それを参照しながら描いたと言われている。
参考:ジョヴァンニ・セガンティーニ
《光のコントラスト》
1887年、76×110cm
ベルギー王立美術館
毛を刈られた直後の2頭の羊。
松方は1916年にロンドンを主として西洋美術作品の蒐集を開始した。
ミラノの実業家グロンドーナ家のコレクションにあった本作は、1918年のイタリアへの蒐集小旅行時におそらくミラノで購入したとされる。
松方がパリにて印象派作品などを大々的に購入するのは1920年代前半のことなので、その前、蒐集初期の購入にあたる。
日本に持ち込むが、川崎造船所の経営破綻により美術品も重役私財として提供する。
美術品は、1928〜41年にかけての計13回の売立や有力者への直接売却などにより、散逸する。
野上弥生子の1931年発表の小説『真知子』(1931年発表)には、主人公が上野で「M-と云ふ富豪の有名な洋画の蒐集を主とした」展覧会を見たエピソードがあり、セガンティーニの本作に触れられているという。
その展覧会は、時期的に、1928年に東京府美術館で開催された「松方氏蒐集欧州美術展覧会」(売立第1回展)であるとされる。
作家の名前もその小説の存在も知らなかった私だが、セガンティーニにかかる記述を確認してみる。
十八九丗紀のイギリス及びフランスの代表画家の作品を主として、一層古いフランドル派や南欧のものをさへ交へた豊富な蒐集に、これまで写真版で想像したり、名前を聞いたりしてゐた画家たちの原作を見せて呉れる点だけでも、貴重な観物であつた。
たとへばセガンチニの「羊毛刈」の画に向ふ時、彼等は板小屋の前で一匹の羊の毛を刈つてゐる女の脊中、腰、羊を押さへつけた左の腕と鋏を動かしてゐる右の腕の素晴らしさに先づ驚かされる。金髪の上に載つてゐる、うす藍色の着物に対して最も効果的な赤い帽子。女と向ひ合つて、反対の側から同じ仕事に従事してゐる男の、中こゞみになつた素朴な姿。二人の周囲に散らかつてゐる和やかな絮毛。大人柵にうごめいてゐる羊の群。その上に遙かに澄み渡つた蒼い空と灰黄色の土の拡がり。ーーこれ等に依つて、如何にもアルペンらしい高原の空気と、自然と、生活を味ふ楽しみに酔ふと共に、同時にひそかな子供らしい感激に打たれる。今こそ真実のセガンチニを見る、と云ふ悦びでそれはあつた。
その後、1934年の東京府美術館「松方氏蒐集欧州絵画展覧会」(売立第5回展)に出品され、兵庫県の個人が購入する。
個人蔵の時代、1978年の兵庫県立近代美術館「セガンティーニ展」に出品されたことがあるようだ。
2008年にその個人から国立西洋美術館が購入する。
昭和9年の展覧会でお買いになった個人の方が、ずっとお宅に飾っていたそうです。幅広い2メートルほどの作品ですから、立派なお住まいだったのでしょう。絵は息子さんの代に引き継がれましたが、ご高齢で手放すこととなり、せっかくならば西洋美術館にと。ですから相場より格段に安く譲っていただいています。
(芸術新潮2009年2月号)
現在、企画展にて、フォルクヴァング美術館所蔵のゴッホ《刈り入れ》と同じコーナー、向かって右手の壁に展示されている。
ジョヴァンニ・セガンティーニ
《風笛を吹くブリアンツァの男たち》
1883-85年頃、107.2×192.2cm
本作も、ブリアンツァ時代の制作。
バグパイプを吹く二人の男たち、
歩行器に入れられた乳呑児、
たくさんの雛を従えて歩く雌鶏、
バグパイプを聴く三人の農婦たち、
餌を食んでいる牡牛。
本作も《羊の剪毛》と同じく、ミラノの実業家グロンドーナ家のコレクションにあり、1918年に松方がイタリア(おそらくミラノ)で購入。
その後、日本に持ち込まれてから、おそらく直接売却により個人蔵となり、1963年に国立西洋美術館が購入する。
現在、新館1階の常設展示室に展示されている。
ジョヴァンニ・セガンティーニ
《花野に眠る少女》
1884-85年、水彩、50.6×38.8cm
本作も、ブリアンツァ時代の制作。
題名どおり、花野のうえで寝そべる少女。
遠くには牛たちが小さく描かれており、少女は牛追いであるようだ。
本作は寄託作品(なので撮影不可)。
本作を松方がいつどこで購入したかは不明である模様。
日本に持ち込まれ、川崎造船所の経営危機により重役私財として、1934年の東京府美術館「松方氏蒐集欧州絵画展覧会」(第5回売立展)に出品され、個人に売却されたのは、《羊の剪毛》と同じ。
その日本の実業家から娘に引き継がれ、1967年から国立西洋美術館に寄託されている。
現在、企画展にて、《羊の剪毛》とフォルクヴァング美術館所蔵のゴッホ《刈り入れ》とに挟まれる形で展示されている。
ちなみに、所在不明の《水を飲む馬》も、ミラノの実業家グロンドーナ家のコレクションにあり、1918年に松方がイタリア(おそらくミラノ)で購入した作品。
それから先、どうなったのか。日本に持ち込まれたのかというところから不明であるようだ。