東京でカラヴァッジョ 日記

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藤田龍児《軍艦アパート》-「牧歌礼讃/楽園憧憬」展(東京ステーションギャラリー)

2022年07月10日 | 展覧会(現代美術)
牧歌礼讃/楽園憧憬
アンドレ・ボーシャン+藤田龍児
2022年4月16日〜7月10日
東京ステーションギャラリー
 
 
藤田龍児
《軍艦アパート》
1990年、大阪市立美術館
 
「軍艦アパート」。
 
 1930(昭和5)年、大阪の日本橋近くに完成した、大阪市営下寺住宅。
 大阪市営最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅(8棟264戸)で、水洗トイレ、ダストシュートを備える当時最先端の近代的アパート。
 近隣には引き続いて、大阪市営北日東住宅(3棟126戸)および大阪市営南日東住宅(5棟260戸)が完成する。
 3住宅あわせて「軍艦アパート」と呼ばれるようになったのは、当時は際立って大きかったのだろう建物の屋上に竈(かまど)の煙突が並んで突き出ているシルエットによると言われている。
 加えて、ベランダの出し家(1〜2畳程度の箱部屋)などの無秩序な増改築も、建物形態の軍艦感を増したようである。
 2001年以降、順次解体され、最後に下寺住宅が2006年に解体されている。
 
 
 
 藤田龍児(1928-2002)は、初めて名を知る画家。
 同志社大学の教職にあった父のもと京都で生まれる。大阪市立美術研究所で学び、大阪で活動する。
 48〜49歳のとき2度の脳血栓の発症により右半身不随となる。利き腕が使えなくなり一度は画家の道を諦めるが、懸命なリハビリによって左手に絵筆を持ち替え、再スタートを切る。
 再スタート後は、それまでの抽象的な作品からガラッと画風を変えて、具象的・素朴派的な作品を描く。
 
 
 《軍艦アパート》は、再スタート後の具象的・素朴派的な作品。
 軍艦アパートの1棟。廊下には、人がいたり、いろいろなものが置かれたり貼られたり。屋上にも人がいたり、洗濯物が干されたり。
 ドア上の部屋番号や表札、貼られたポスターなど、妙に細かく刻まれた文字も気になる。
 
 画家は、若い頃、おそらく天王寺にある大阪市立美術研究所で学んでいた時期あたりに、この住宅で暮らしながら制作に励んでいたらしい。
 4階の緑のドアの前に大きなキャンバスがあるから、ここが画家の部屋であったのかもしれない。
 
 しかし、本作品での軍艦アパートは4階建てだが、現実の軍艦アパートは3階建てであった。
 
 画家は、記憶にある光景をもとに画をつくりだすのを常とした。
 本作品も、画家の記憶のなかでは4階建てであったのか、それとも、制作上の都合により増築することとしたのか。
 
 
 
 会期最後の週末に滑り込み訪問した本展。
 藤田龍児の作品50点ほどのうち、35点ほどが具象的・素朴派的な作品。
 その風景には、結構、鉄道や駅が登場する。
 親が和歌山の出身だからか、南海電鉄とか阪堺電車とかJR阪和線とかの、駅とか電車とか線路などが、現実どおりではなくて、制作上の改変が加えられて描かれる。
 


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