東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

ピエロ・デッラ・フランチェスカ《キリストの復活》

2017年09月18日 | 西洋美術・各国美術
高階秀爾
「ルネッサンスの光と闇」
1971年初版、三彩社
(1987年初版、中公文庫)
 
 
   特にイタリアでは、フィレンツェにしばらく滞在した後、車を借りて地方の小都市を片端から訪れて廻ったので、以前ヨーロッパに留学した時には見ることができなかった作品も、たいてい実地に確認することができた。ピエロ・デッラ・フランチェスカの《復活》を見るために、ボルゴ・サン・セポルクロに一泊した時は、たまたま私たちの訪れた日が美術館の休日にあたっており、無理に頼みこんで見せて貰うということもあった。もっとも、当時三歳半の私の娘は、それほどまでして見ることのできたピエロの作品には少しも興味を示さず、宿屋の女の子とすっかり仲良しになって、そのためにこの町を立ち去り難い様子であった。
 
 
   「あとがき」から。著者の1967-68年のことであるらしい。
 
 
 
    2000年代初頭の夏、「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」ミニ紀行を試みる。
 
    ローマから鉄道でアレッツォへ。予約済みのサン・フランチェスコ教会のフレスコ画《聖十字架伝説》を制限時間の30分鑑賞。次にアレッツォ大聖堂の《マグダラのマリア》。昼食。
    次は、バスでサンセポルクロに向かうつもりでいたが、昼食後の時間帯、次の便まで2時間以上。じゃあタクシーで行こう。ここで最初の判断ミス、先にモンテルキへ行こう。
    向かう道、雑誌で読んだことがあったが、本当に緑の丘陵しかない道路の脇に女性が一人で立っている。進むとまた一人、さらに一人。彼女たちはバス通勤だという。危険な商売である。
    マドンナ・デル・パルト美術館に到着。ここで痛恨の判断ミス、タクシーを返してしまう。
    鑑賞後、美術館の係員にタクシーを頼む。問合せしてくれたが、ないとのこと。代わりに教えてくれた近くのバス停。バスは1時間先、かつ、逆方向のチッタ・ディ・カステッロ行き。サンセポルクロは諦めよう。
    ほぼ時刻表どおりに来たバスに感謝しつつ終点まで、ウンブリア鉄道に乗りペルージャへ、そこで1泊。翌日、ウンブリア国立美術館訪問、アッシジ観光後、ローマの宿に戻る。とにかく暑かった。
 
    サンセポルクロ情報に接するたびに思い出す。ネット情報が整備されている今なら、きちんとした計画が立てられるだろう、リベンジの機会はやってくるのか。


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