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【画像その2】 「学年誌100年と玉井力三 - 描かれた昭和の子ども」展(千代田区立日比谷図書文化館)

2022年10月05日 | 展覧会(その他)
学年誌100年と玉井力三
 - 描かれた昭和の子ども
2022年9月16日〜11月15日
千代田区立日比谷図書文化館
 
 
 玉井力三(1908-82)。
 
 新潟県生まれ。
 中村彝の作品を見て画家になることを決意。
 中村の学んだ「太平洋画会研究所(後に太平洋美術学校に改称)」に入所し、中村不折(1866-1943)に師事。同校講師を経て、満州国新京美術院助教授を務める。同院解散後、地元に戻る。
 
 戦前の作品は、戦争によって焼失したとされる。
 唯一残るのが、地元の上越市内の小学校で発見された《三笠艦橋の図》(東城鉦太郎筆)の模写作品。
 
 戦後は「示現会」に所属し、洋画家としても活動するが、活動の主体は、「商業画家」として雑誌の表紙絵を描くこととなったようである。
 
 
 「商業画家」としてのスタートは、昭和23年、大人向け雑誌から。
 本展には、初めて雑誌の表紙絵を手がけたと考えられている『月刊讀賣』や、昭和26年から11年間担当したという『主婦と生活』などが展示される。
 
 
 学年誌・学習雑誌の表紙絵も始める。
 
 
 ただし、小学館の雑誌が最初ではない。
 
 最初は、学研で、昭和25年の「◯年の学習」「中学コース◯年」。
 次が、集英社で、昭和28年の「よいこ幼稚園」。
 小学館は、3番目で、昭和29年の「小学二年生」から。
 
 さらに、秀文社、同じく昭和29年の「幼稚園ブック」「1年ブック」。
 まだまだ、講談社が、昭和31年の「たのしい一年生」。
 
 各社とも、その後、担当する学年誌の種類が増えているほか、雑誌以外の子ども向けの絵本の表紙絵も担当したようである。
 玉井は「超売れっ子表紙画家」であった。
 
 
玉井の表紙の小学館学年誌の初登場時期。
 
『小学二年生』 昭和29年4月号
『小学四年生』 昭和30年9月号
『よいこ』   昭和31年12月号
『めばえ』   昭和34年1月号
『小学三年生』 昭和35年11月号
『小学一年生』 昭和36年1月号
『幼稚園』   昭和39年1月号
 
 
 小学館の学年誌では、『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『幼稚園』『めばえ』の5誌の表紙絵を主に担当したようである。
 
 ちなみに、『小学四年生』〜『小学六年生』の表紙は、絵ではなく、写真を利用したらしい。
 『小学三年生』以下で写真を利用しなかったのは、小さな子どものモデルからは理想の笑顔が得られないからであるらしい。
 
 玉井は、小さな子どものモデルを撮影し、その写真をもとに、理想の笑顔の子ども像を作り上げたいう。
 毎月毎月、25年間にわたり、5誌(+α)の表紙絵を、キャンバスに油彩で制作する。
 確かに、締め切りに追われて、他の絵を制作する余裕はなかったかも。
 
 
 
 以下、玉井の小学館学年誌での活躍ぶり。
 
 『小学一年生』〜『小学三年生』では月号別にて、『幼稚園』と『めばえ』では雑誌単位にて、油彩キャンバスの原画と、完成した雑誌が展示されている。
 
4月号&5月号
 
8月号&9月号
 
10月号
 
1月号
 
3月号
 
幼稚園
 
めばえ
 
昭和39年11月号前後
 
 
8月号に見る、原画と雑誌表紙
 
 
 
 
1月号に見る、原画と雑誌表紙
 
 
 
 
 玉井が表紙を担当した時代の小学館の学年誌を知らないけれども(それ以降の時代の小学館の学年誌も知らないけれども)、これら男の子女の子の理想の笑顔の原画に囲まれていると、なんだか懐かしい気持ちになる。


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