日本の中のマネ
出会い、120年のイメージ
2022年9月4日〜11月3日
練馬区立美術館
「19世紀フランスを代表する画家」エドゥアール・マネ(1832‐83)の日本における受容について考察する本展。
本展によると、現在、日本に所在することが公に確認できるマネ作品(油彩・パステル)は、17点だという。
17点。
想像していたとおり、少ない。
マネの西洋美術史上の重要度にもかかわらず、本展の第1章「クールベと印象派のはざまで」にて取り上げられる同時代の画家、クールベ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、シスレー、ドガと比べて、極端に少ないのは何故だろうか。
1971年に、当時の「日本に所在するマネ作品」にかかる調査研究が行われている。
国立西洋美術館年報 4号 1971年3月
佐々木英也「日本に所在するマネ作品 - 油彩・パステル・デッサン -」
1971年当時は、5点。
上述のこれまでの調査(補足:モネ、ルドン)に比してマネ作品は著しく数が少なく、しかも後に見るように、所在が明らかなものは1点を除いてすべてブリヂストン美術館の所蔵になる。当初の目的としては同館以外の作品の調査に主眼を置いたのであったが、この方面の消息に通じておられると思われる方々にお訊ねしても、ほとんど知ることができなかった。
その5点は、次のとおり。
《オペラ座の仮面舞踏会》1873年、油彩、ブリヂストン美術館
《ブラン氏の肖像》1879年、油彩、ブリヂストン美術館
《自画像》1878-79年、油彩、神戸・個人蔵
《メリー・ローラン》1882年、パステル、ブリヂストン美術館
《裸婦》制作年不詳、素描、ブリヂストン美術館
なんと、5点中4点が、ブリヂストン美術館(現:アーティゾン美術館)の所蔵とある。
さらに、その後1972年には、《自画像》も石橋財団が購入し、ブリヂストン美術館所蔵となっている。
しかしながら、《ブラン氏の肖像》は、ブリヂストン美術館の所蔵と記載されているが、実は松方家からの寄託(そのことは内密にされていたのか?)であり、その後、1984年に松方家からの寄贈により国立西洋美術館の所蔵となっている。
2点に所有者移動があったが、5点とも、50年後の現在においても、日本に所在するのはありがたいこと。
また、1971年以降の50年の間に、日本所在のマネ作品は、5点から17点へ、12点増えたこととなる。
本展には、17点のうち7点+素描1点が出品。
第2章「日本所在のマネ作品」にて、45点ほどの版画とともに、展示室1の後半と展示室2の前半に分かれて展示される。
また、会場内の解説パネル「日本所在のマネ作品」には、「日本に所在するマネ作品」17点および「かつて日本に所在が確認されたマネ作品」4点が挙げられている。
以下、解説パネルに基づき、これら「日本所在のマネ作品」を確認する。
【日本に所在するマネ作品:17点+素描1点】
★印は本展出品作であることを示す。
☆印はかつて松方幸次郎の所蔵であったことを示す。
アーティゾン美術館:3点+素描1点
★《裸婦》制作年不詳、素描
日本における最初期のマネ・コレクションとされる。
画商・林忠正がパリの画商から購入、日本・個人蔵を経て、石橋財団が取得。
☆《オペラ座の仮面舞踏会》1873年、油彩
旧松方コレクション。
1946-52年頃、石橋正二郎が購入し、1961年、石橋財団に寄贈。
☆《自画像》1878-79年、油彩
ハンセン・コレクションから松方幸次郎が購入し、日本に持ち込まれる。
川崎造船所の経営破綻後、和田久左衛門が購入、その後フジカワ画廊を経て、1972年に石橋財団が購入。
《メリー・ローラン》1882年、パステル
大阪の実業家・岸本吉左衛門旧蔵。1920年の展覧会に出品、日本で最初に展覧されたマネ作品とされる。
国立西洋美術館:3点
☆《嵐の海》1873年、油彩
旧松方コレクション。
フランスに残された松方コレクションの後見人である日置釭三郎が、経費捻出のため1941年頃に売却。何度か所有者が変わったのち、1953年にヒルデブランド・グルリットの所有となる。2012年、相続した息子のコーネリウス・グルリットのミュンヘンのアパートで、ナチス略奪美術品とともに発見される。2014年、コーネリウス死去、遺言によりベルン美術館へ遺贈される。
2019年、ベルン美術館から国立西洋美術館が購入。
《花の中の子供(ジャック・オシュデ)》1876年、油彩
1982年、国立西洋美術館が購入。
1959年にフランスから寄贈返還された松方コレクションには、マネ作品は含まれていなかった。
1点残っていたマネ作品は、寄贈返還の対象外とされ、フランスに留まった。
本作品は、国立西洋美術館が所蔵するマネ油彩作品の第1号となったようだ。
☆《ブラン氏の肖像》1879年、油彩
ハンセン・コレクションから松方幸次郎が購入し、日本に持ち込まれる。
川崎造船所の経営破綻後も松方家にとどまり続けた17点ほどの作品の一つ。
1953-84年のブリヂストン美術館への寄託を経て、1984年に遺族から国立西洋美術館に寄贈。
東京富士美術館:1点
★《散歩(ガンビー夫人)》1880-81年頃、油彩
ひろしま美術館:2点
《バラ色のくつ《ベルト・モリゾ》》1872年、油彩
《灰色の羽根帽子の婦人》1882年、パステル
ポーラ美術館:2点
★《サマランカの学生たち》1860年、油彩
《ベンチにて》1879年、パステル
村内美術館:1点
★《スペインの舞踏家》1879年、油彩
HP掲載なし
メナード美術館:2点
★《杖を持つ男(ベラスケスによる)》1865年頃、油彩
HP掲載なし
《黒い帽子のマルタン夫人》1881年、パステル
吉野石膏コレクション:1点
★《イザベル・リモニエ嬢の肖像》1879年頃、油彩
【かつて日本に所在が確認されたマネ作品:4点】
☆《闘牛士》1866年、油彩
松方幸次郎旧蔵→現在所在不明
1939年のロンドン倉庫火災により、焼失したとされている。
☆?《嵐の海》1873年、油彩
松方幸次郎旧蔵→現在所在不明
国立西洋美術館の所蔵作品のことじゃないの???
でも、横のサイズが違うらしい。
似た図像の別の作品があるのかなあ。
☆《ビールジョッキを持つ女》1879年、油彩
松方幸次郎旧蔵→現在オルセー美術館蔵
松方がフランスに留め置いたコレクションで、1959年の日本への寄贈返還の際、フランス政府が特別に重要な作品として残すこととした19点のうちの1点。
1999年「オルセー美術館展」と2010年「マネとモダン・パリ」展で来日。
《芍薬の花束》1882年、油彩
村内美術館旧蔵→現在所在不明
2013年頃以降に、村内美術館は、それまで常設展示していた本マネ作品ほか、クールベ・ミレー・コロー・バルビゾン派や印象派などのコレクションの多くを売却したようである。
以上の掲載画像は、所蔵館に過去訪問した際の撮影。
全体的に見ると、印象派的な主題の作品が選ばれて日本に入ってきた印象。
印象派的な主題の作品であれば、印象派の画家たちの作品のほうが、華やかだし、取得もしやすかったのだろう。
近代都市における人間関係とか、社会問題とかを主題とするマネ作品は、そもそも取得自体が困難であったろう。
本展では、国内所蔵のマネ版画作品も多数出品されている。
《バリケード》
1871年、リトグラフ、国立西洋美術館