大阪の日本画
2023年4月15日〜6月11日
東京ステーションギャラリー
前期に引き続き、後期を訪問。
大阪の近代日本画に関する史上初めての大規模展覧会であるらしい。
(大阪中之島美術館からの巡回。)
明治から昭和初期にかけて大阪で生まれた日本画について、大阪中之島美術館が長年蒐集したコレクションを中心に、全国から優品を集めたという。
【本展の構成】
(東京では、会場の都合により、1→4→5→3→2→6の順番で展示)
第1章 ひとを描く - 北野恒富とその門下
第2章 文化を描く - 菅楯彦、生田花朗
第3章 新たなる山水を描く - 矢野橋村と新南画
第4章 文人画 - 街に息づく中国趣味
第5章 船場派 - 商家の床の間を飾る画
第6章 新しい表現の探究と女性画家の飛躍
大阪の日本画と言われてもイメージがなく、せいぜい、「あやしい絵」系?の北野恒富と島成園くらいしかイメージしかなく、と言い換えると、北野恒富と島成園の「あやしい絵」系の作品を期待していた私。
北野恒富、島成園、木谷千種の3名以外は初めて名を知る画家ばかり。
さまざまな日本画家がいて、さまざまな分野の日本画が生まれていることを認識する。
全6章からなるが、後期で私がもっぱら見たのは、第1章と第6章、あと第2章。
以下、特に見た作品を記載する。
第1章 ひとを描く - 北野恒富とその門下
北野恒富
《鏡の前》&《暖か》
1915年、滋賀県立美術館
エレベーターを降るといきなり、目の前に登場してびっくり。
2017年の千葉市美術館「没後70年 北野恒富展」以来となる2回目の対面に、思わず駆け寄ってしまう。
千葉市美術館の回顧展の解説によると、「赤と黒の印象」を描いた2点組み作品。1点ずつ別の展覧会に出品するが、「赤」(《暖か》)単独に対して「広告風の顔、赤い長襦袢が挑発的、画品として卑属」と評され、ここから「画壇の悪魔派」と呼ばれるようになる。
本展の会場内解説によると、洋画家の鍋井克之が本作について、「あまりに色気汪溢で、大衆の目を奪い、世評も上がった」「大阪らしい濃厚な色気のようなものは完全に摘出されていた」と記している。
《鏡の前》の芸妓の黒い着物の模様は、青海波の模様で、着物と同色の黒、作品から離れると識別できなくなるが、近くで見ると美しい。
北野恒富の後期展示は9点(通期2点、後期7点)。他には、六曲一双の《紅葉狩》1918年、大阪中之島美術館などを楽しむ。
小林柯白
《道頓堀の夜》
1921年、大阪中之島美術館
夜。
道頓堀川沿いに立ち並ぶ芝居茶屋、窓の光が輝くが、人影は見えない。
芝居茶屋の向こう側、画面上部に浪花座の破風と櫓。
道頓堀川には船、当時は大阪名物であったらしい牡蠣料理を出す牡蠣船が浮かび、水面は静かで光を映している。
中村貞似
《失題》
1921年、大阪中之島美術館
初めて名を知る画家だが、代表的な大阪の日本画家の一人なのだろう、第1章の5点(通期1、前期2、後期2点)のほか、第6章にも3点(前期1、後期2)が展示される。
本展のメインビジュアルの一つで通期展示の本作は、21歳頃の制作。
正座を崩して脇息に両肘をつく女性の、あやしい系の表情と臀部を画面に大きく描く構図が印象的である。
第2章 文化を描く - 菅楯彦、生田花朗
菅楯彦
《阪都四つ橋》
1946年、鳥取県立博物館
古き良き大阪庶民の生活を描く「浪速風俗画」を確立したという菅楯彦。
かつては西横堀川と長堀川の河川が交差し、カタカナのロの字形の横断歩道のように4つの橋が架かっていたという、「四つ橋」の名前の由来を初めて知る。
菅楯彦
《職業婦人絵巻》
1921年、関西大学博物館
いわゆる「職業婦人」たちの姿を描いた絵巻。
ウェイトレス、美容師、電話交換手、看護婦、事務員など当時新しいとされた職業のみならず、農業など従来から従事していた職業も取り上げているという。
本展での公開は2場面(職業)のみだが、皆楽しそうに働いている。
生田花朝
《泉州脇の浜》
1936年、個人蔵(大阪中之島美術館寄託)
横幅3メートル超のパノラマ。
現在の大阪府貝塚市脇浜の漁村の浜辺の活気ある光景。
青の色鮮やかさ。
第6章 新しい表現の探究と女性画家の飛躍
島成園
《祭りのよそおい》
1913年、大阪中之島美術館
通期展示。祭りで着飾る4人の少女。
左に座る2人は、上等な着物、履物、髪飾り。
2人の右隣に座る少女は、絞り染を着て、帯は簡素。
その3人から離れた場所に立っている少女は、素足に草履姿で、髪飾りは一輪の野辺の花。
当時21歳の島は、子どもの間にも厳として存在する貧富の差を、さらなる下層を描かず、品よく描いている。
子どもたち4人の目線がさらなる意味を暗示させる。
木谷千種
《をんごく》
1918年、大阪中之島美術館
以前1回見た記憶あり。
盂蘭盆に遠国(おんごく)から帰る祖霊を迎える遊戯唄で、子どもたちが列をなして歌いながら町内を練り歩いている。
その姿を室内から見守っている一人の娘、娘は何を想っているのだろう、想像させられる。
吉岡美枝
《ホタル》
1939年、大阪中之島美術館
浴衣姿で寝そべっている少女が見ているのは、小さなカゴのなかのホタル。
中村貞以
《夏趣二題》
1939年、大阪中之島美術館
中村貞以
《猫》
1948年、東京都現代美術館
二曲一隻。第1章とは画風が変わって、凛とした女性像2点。
池田遙邨
《雪の大阪》
1928年、大阪中之島美術館
通期展示。二曲一隻。1928年2月11日、22年ぶりの大雪に見舞われた近代都市大阪の姿。
初めて尽くしで楽しく見る。
同じ週末午後の訪問、前期訪問時はかなり空いていた印象であったが、今回は相応に人が集まっている。
東京ステーションギャラリーの展示室は大きくないが、本展でも展示作品数・サイズに見合った鑑賞スペースが確保されていない場がしばしばあり、特に冒頭の北野恒富《鏡の前》&《暖か》を観るのはなかなか難儀する。
次回の展覧会も楽しみ。
甲斐荘楠音の全貌
絵画、演劇、映画を越境する個性
2023年7月1日〜8月27日
東京ステーションギャラリー
コメントありがとうございます。
私も、図録(会場内設置)にて、島成園の作品は、サントリー美術館では出品されず、他の会場では出品されることを知りました。
《上海にて》&《伽羅の薫》。
見たかったです。
福島で出品されたのですね。
次の機会を期待します。
甲斐荘楠音の論文の紹介ありがとうございます。東京ステーションギャラリーの展覧会に行くまでに読ませてもらいます。
https://blog.goo.ne.jp/k-caravaggio/e/12df00c984ca1d3794a57df5206a37d0#comment-list
実は5日前までこの絵が福島で展示されていました。数日前に昨年サントリー美術館で開催された「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」展の図録を見る機会があり、この中に「上海にて」の図が掲載されていたので、「東京へ来ていたのに見逃していたか!」と一瞬思ったのですが、よく調べてみたらサントリーでは展示されていなくて、巡回先の福島県立美術館(2023.3.21~5.21)での展示でした。なお、今後の巡回先である熊本についてはまだ展示作品リストが公開されていないので、この絵が出るかどうかは分りません。
https://www.tuf.co.jp/miwotsukushi/display/#display
https://www.tuf.co.jp/miwotsukushi/wp-content/uploads/2023/03/list.pdf
うまくいかないものです。今後も気長に待とうと思います。
ついでながら、甲斐荘楠音の「切られお富」に関する論文があります。著者は神戸大学で宮下先生のところにいた方だと思いますが、ご本人は京都葵祭の斎王代、兄が祇園祭の長刀鉾の稚児をやられたということで、美術史を専門にされるような人は相当な良家の子女でないと無理なのかと思いました(京都の老舗和菓子店だそうです)。
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/E0041499/E0041499.pdf