神田日勝 大地への筆触
変更前:2020年4月18日〜6月28日
変更後:2020年6月2日〜6月28日
東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー「神田日勝」展が、約2ヶ月半ぶりの美術鑑賞。久しぶりだ。
神田日勝(1937〜70)は、東京・練馬で生まれる。その時代らしい名前である。1945年、日勝7歳のとき、一家は戦災を逃れ、拓北農兵隊に応募して北海道・十勝に移住。以降北海道・十勝で生きる。2019年上期のNHK朝ドラ「なつぞら」の登場人物・山田天陽のモチーフとなった画家である。
私的には、2010年の平塚市美術館「画家たちの二十歳の原点」展で見た、馬を描いた作品1点にえらく惹かれて、回顧展を待ち望んでいた画家。今回の没後50年の回顧展(東京では42年ぶりの個展)の開催を知ってたいへん楽しみにしていたところ。なんとか開催していただいて、たいへん嬉しい。
本展は、夭折のため現存作品数は多くないだろう画家の代表作はほぼ勢揃いしている感じで、期待どおり非常に満足する。
以下、印象に残る作品たち。
1 馬、牛、静物
《痩馬》
1956年、帯広市教育委員会(北海道立帯広美術館寄託)
一家が初めて購入した農耕馬は、馬喰に騙されて買わされた年老いた馬。
《馬》
1957年、個人蔵(神田日勝記念美術館寄託)
力なく餌を食べる痩せこけた老馬。平塚市美術館で見て心奪われた作品。
《開拓の馬》
1966年、北鹿追農事組合(神田日勝記念美術館寄託)
義父が氏子総代を務めた北鹿追神社からの依頼で制作され、絵馬として奉納された作品。
《馬》
1965年、神田日勝記念美術館
農耕馬の証「胴引き」の痕。長年の馬具装着労働により、前脚の付け根や腹の一部の毛が薄くなっている。
《死馬》
1965年、北海道立近代美術館
農耕馬の死。死してなお鎖で縛られる手足。
《牛》
1964年、神田日勝記念美術館
石床に敷かれた筵に横たわる牛。縛られた手足。切り裂かれた腹部の鮮烈な赤。
《牛》
1966年、北海道立近代美術館
当時の農家では、牛が死ぬと、腹にガスがたまってくるため、すぐに腹を割いてガス抜きをしたとのこと。
《静物》
1966年、神田日勝記念美術館
画面いっぱいに描かれる食材。ビールやホッピーらしき瓶も。この年の十勝地方は豪雨と冷害による大凶作で、離農者が続出したという。
《馬(絶筆・未完)》
1970年、神田日勝記念美術館
むき出しのベニヤ板。馬の半身のみが密に描かれる。
2 室内風景
《室内風景》
1970年、北海道立近代美術館
壁も床も一面が新聞紙で覆われる。
読み取れた新聞広告
トクホンチール
ビオタミンゴールド
北の誉
長銀のワリチョー
カローラ1200
パールライス
三菱電機17型テレビ
コロナ石油ストーブ
キャベジンコーワ
モスノー
3 曺良奎
日勝のほか、日勝が影響を受けた画家の作品も展示される。
日勝の兄である神田一明や、曺良奎、寺島春雄、海老原喜之助、海老原暎、北川民次である。
特に、曺良奎は、《マンホールB》(宮城県立美術館)と《密閉せる倉庫》(東京国立近代美術館)の2点が出品、正直、日勝とは格が違うなあとの印象。
本展は、東京のあと、画家の地元・北海道の鹿追(神田日勝記念美術館)と札幌(北海道立近代美術館)に巡回する。
気づいた主な感染症対策。
・事前予約制・日時指定入場制を導入。
販売はローソンチケットのみ。館の窓口での販売なし。
1時間単位で入場日時を指定。
・各種割引の対応中止。
・金曜日の夜間開館は実施。
・マスクは必ず着用。
・入館時に手指の消毒。
・エレベーターの定員は4名。
・展示室内に図録配置無し。
帰りがけの階段、前を行く手すりの消毒中の係員の方と同スピードで歩く。お疲れ様です。