今期(2024/1/23〜4/7)の「MOMATコレクション」展示より。
3室「麗子、生誕110年」。
1914(大正3)年4月10日、父・劉生、母・蓁の長女として生まれた岸田麗子。
この企画では、同館が所蔵する劉生の「麗子像」が一挙公開されるとともに、劉生の長男が同館に遺贈した劉生の資料群や麗子の子ども時代の作品などが紹介される。
重要文化財指定《道路と土手と塀(切通之写生)》、2点の《自画像》と並び、2点の「麗子像」が展示。
岸田劉生
《麗子肖像(麗子五歳之像)》
1918年、油彩
岸田劉生
《麗子六歳之像》
1919年、水彩
「麗子像」が初めて制作されたのは麗子が4歳の頃です。モデルは長時間同じポーズを保たなければならず、幼い麗子には酷な仕事でした。麗子は時に足の痛みに涙をこらえながら、父の前で正座を続けていたそうです。
麗子を描いたスケッチ。
劉生が麗子を愛しんでいることが分かり、微笑ましい。
岸田劉生
《麗子像》
1921年頃、コンテ
岸田劉生
《麗子鬼を打つの図》
不詳、墨
岸田劉生
《麗子のおけいこ》
1921年、墨
岸田劉生
《戯画》
1919年頃、墨
岸田劉生
《戯画(おはなの風船)》
1919年頃、鉛筆
資料群より、劉生が書いた葉書。
左:麗子あて、右:妻あて。
資料群の麗子肖像写真・家族写真より、1選。
関東大震災後の劉生一家
神奈川県藤沢町鵠沼に住んでいた劉生一家。
9月7日、全壊した自宅の屋根に上って記念撮影。写真屋さんに撮ってもらったもの。
前列右端の浴衣姿の男性が劉生。
その背後の女性が妻・蓁。
前列左端の少女が娘・麗子。
後列左端が劉生の妹・照子。
自宅の母屋は全壊するが、1度目の揺れでは幸いにも持ち堪え、家族は逃げることができ、全員無事。2階建ての洋館のアトリエは倒壊を免れている。
岸田劉生
《麗子十六歳(髷)》
1929年、インク
この年、劉生は38歳で逝去。
麗子は、その後も亡き父の教えを心に留めながら、絵画の制作を続ける。