東京でカラヴァッジョ 日記

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「中村屋の中村彝」(中村屋サロン美術館)

2024年10月15日 | 展覧会(日本美術)
開館10周年記念展
中村屋の中村彝
2024年8月28日〜11月4日
中村屋サロン美術館
 
 
 重要文化財《エロシェンコ氏の像》や中村屋の創業者の長女・俊子をモデルとした少女像などで知られる洋画家・中村彝(1887-1924)。
 
 没後100年を迎える今年(2024年)、画家の出身地・水戸市の茨城県近代美術館において、記念の回顧展が11月10日〜翌年1月13日まで開催される。
 《エロシェンコ氏の像》(重要文化財の公開日数の制限に従い、12月22〜28日はパネル展示となる)をはじめ、代表作約120点が一堂に会する大回顧展となるようである。
 他館への巡回はないとのこと。
 
 その前座という位置付けではないだろうが、東京・新宿の中村屋サロン美術館では、開館10周年記念展として、茨城県近代美術館の特別協力のもと、中村彝展が開催されている。
 
 出品点数は33点(後期)。
 多くはないが、中村屋の所蔵7点のほか、茨城県近代美術館の20点、愛知県美術館の2点など国内所蔵者からも作品を集めている。
 画業を3期に分け、期別に紹介する3章構成。
 
 
第1章 1907年~1911年 太平洋画会で育まれた時代
 
 油彩6点の展示。
 裸婦像1点、風景画3点、自画像2点。
 自画像は、《自画像(ハンチングを被る自画像)》1909年、茨城県近代美術館蔵、《麦藁帽子の自画像》1911年、中村屋蔵。     
 
 
第2章 1911年12月~1915年4月 中村屋裏のアトリエ時代
 
 油彩9点とスケッチ1点の展示。
 うち、中村屋の創業者・相馬家の子どもたちをモデルとする油彩の肖像画5点が見どころとなるだろうか。
 
 長男の安雄(当時12歳)をモデルとする《少年像(相馬安雄像)》1912年、三井住友銀行蔵。
 次女の千香(当時8歳)モデルとする《帽子を被る少女》 1912年、田辺市立美術館蔵(脇村義太郎コレクション)。
 1913年の萩原守衛三回忌に中村屋に集まった中村屋サロンのメンバーの集合写真(パネル展示)には、安雄と千香も写っている。彼らの魅力を中村は実によくとらえている。写真の千香は上目遣いの肖像画よりずっと愛らしい。
 そして、長女の俊子(当時15歳)をモデルとする3点。《少女(習作)》1914年、中村屋蔵、《少女裸像》1914年、愛知県美術館蔵、着衣の《小女》1914年、中村屋蔵。スキャンダラスな出来事を起こすこととなる《少女裸像》の展示が、本展の肝かも。
 また、制作時期から第3章に置かれるが、1914年生まれ、中村が名付け親となったという四女の哲子をモデルとする《幼女》1915年、個人蔵 も同じ壁面ケースに並ぶ。
 
 
第3章  1915年 日暮里・谷中、1916年~1924年12月24日 下落合のアトリエ時代
  
 油彩13点、水彩1点、スケッチ2点の展示。
 私的には、2点を特に見る。
 
《老婆像習作》 1924年、茨城県近代美術館蔵。
 モデルは、中村が30歳のころから身の回りを世話していた女性・岡崎きい。パネル展示されていた中村の画家仲間の集合写真にて、最前列中央の中村の隣に座っている女性。中村は女性の特徴をよく捉えている。完成作は、水戸市の徳川ミュージアムが所蔵しているようだ。
 
《カルピスの包み紙のある静物》  1923年、茨城県近代美術館蔵。
 描かれる「カルピス」とは、瓶本体や化粧箱でなく、包装紙。青地に白い水玉模様の包み紙をテーブルの敷物として使い、その上に静物を置いている。
 1919年にカルピスが販売開始されてから4年後、1922年に「初恋の味」とのキャッチフレーズが初めて使われてから1年後、同年に新発売の徳用ビンに「青地に白い水玉模様」の包装紙が初めて使われてから1年後の制作となる。
 中村は、中村屋の創業者から、お見舞いにカルピスを贈られ、非常に気に入り、以降は毎食後に飲むほどハマっていたらしい。当時カルピスは「美味滋強飲料」として売り出しており、広告には「結核の危険から免れんと望まるる方へ御常用をお勧め致します」とあった。
 作品名も印象的な本作であるが、この作品名は中村の没後に他者によって付けられたもので、当初は単に「静物」であったらしい。
 
 
 私的に初めての中村彝展を楽しむ。
 茨城県近代美術館の「大回顧展」に遠征するかどうか、12月なら余力ができるだろうか、どうだろうか。 


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