没後300年記念 英一蝶
風流才子、浮世を写す
2024年9月18日〜11月10日
サントリー美術館
英一蝶(はなぶさいっちょう、1652-1724)。
名前は知っている。東博の常設展示や各種展覧会でその作品を何点か見たことがある。印象に残る作品は、東博所蔵の《雨宿り図屏風》。
(所蔵館にて撮影)
突然の雨に、大名屋敷の庇の下に集まってきた人々。
年齢も職業もさまざま、本来かかわることのない老若男女、プラス犬と馬が、同じ空間で身を寄せ合う。不思議な一体感。雨の空気感。魅力的な風俗画。
加えて、2024年春の東京藝大美術館「大吉原展」により、一蝶が47歳のとき、三宅島配流の刑に処されていたことを認識する。
第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いで捕らえられているが、この事件の真犯人はすぐに捕まっている。
理由は、吉原の幇間(太鼓持ち、男芸者)でもあった一蝶は、綱吉の生母に近い大名や旗本たちを吉原に誘い、浪費を促し、遊女の身請けをさせたなどにより、幕府から目をつけられていたということらしい。
✳︎NHK日曜美術館によると、1693年、綱吉の生母・桂昌院のおいにあたる大名に、吉原角町にあった茗荷屋の遊女・大くらを900両で身請けさせ、100両を祝儀としてばらまかせるにおよび、牢屋にいれられる。この時は運良く釈放される(お詫びのしるしとして桂昌院に屏風を送ったとされる)が、調子に乗って再び桂昌院に縁ある人物に散財させてしまい、5年後の1698年12月、隅田川の永代橋から船に乗せられる。表向きの罪状は「生類憐みの令」違反。
一蝶は、三宅島でも精力的に制作を行う。江戸の知人たちのために都市風俗画。三宅島や近隣の島の人たちのために神仏画・吉祥画など。
「大吉原展」では、三宅島にて、吉原に精通した一蝶が、記憶を頼りに描いた《吉原風俗図巻》(サントリー美術館蔵)が出品されていた。
12年後の1709年、三宅島で一生を終えるはずであった一蝶は、綱吉死去に伴う将軍代替わりの恩赦により、奇跡的に江戸に帰還する。
本展は、2009年の板橋区立美術館での回顧展以来15年ぶりとなる回顧展だという。
《雨宿り図屏風》のような「都市風俗画」を期待しつつ、前期を訪問する。
【本展の構成】
第1章 多賀朝湖時代
第2章 島一蝶時代
第3章 英一蝶時代
配流前、配流中、帰還後と大きく3つの時代区分による展示。
「英一蝶」は帰還後の画名(それまでは「多賀朝湖」)。
特に楽しく見たのは、2点の《雨宿り図屏風》。
東博所蔵の《雨宿り図屏風》とメトロポリタン美術館所蔵の《雨宿り図屏風》。
同じ構図。
いずれも「英一蝶時代」の作品。
2点は、連続するが別の部屋で展示されており、何度か行き来して、その違いを確かめる。
MET所蔵は、その右側に、東博所蔵にはない、雨によって水量の増した水辺や、しっとりと濡れた竹藪が描かれている。情景描写が充実。
描かれた人物たちは結構変更がある。位置を変えた人物たちもいる。
試行錯誤の跡から、MET所蔵が東博所蔵より先に制作されたと考えられているという。
MET所蔵は通期展示だが、東博所蔵は前期限り。2点を比較して見たい場合は、前期(〜10/14)訪問が必要。
東博作品とMET作品を交互に。
画像は、メトロポリタン美術館サイト
ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
その他主に見たもの。
《四条河原納涼図》千葉市美術館
河原で納涼する人々。頭隠して酒隠さず、の人は何をしているのか?
《投扇図》板橋区立美術館
御神木の脇にある大きな鳥居に向かって扇を投げる、願掛け・運試しをする3人の男たち。1人が投げた扇が見事に鳥居の隙間を通過!、判定役の男は興奮のあまり3点ブリッジ?
《奈良木辻之図》個人蔵
奈良の木辻遊廓を描く。遊廓内に鹿がいるのは奈良らしいというべきか。
《雨宿り図》個人蔵
多賀朝湖時代から描いていた雨宿りの光景。《雨宿り図屏風》の中央軒先部分がクローズアップされる形。後期も別の《雨宿り図》が出る。人気主題であったようだ。
《人物雑画巻》東京国立博物館
2図の公開。うち1図は、薪を頭に乗せた通常姿の大原女が、薪を台代わりにして桜の枝を折ろうとしているもう1人の大原女を微笑ましく見ている。後期場面替え予定。
《吉野・龍田図屏風》京都国立博物館
金峯山寺蔵王堂と龍田大社を中心に周辺の名所旧跡、そして、参詣に訪れた人々や日々の生活を営む周辺住民をミニサイズで描く。岩から川に飛び込む遊びに興じる子どもたちの姿が楽しい。
《吉原風俗図巻》サントリー美術館
前期は5段のうち1〜3段が公開。第1段は船で吉原へ、第2段は大見世が並ぶ表通り、第3段は揚屋町。後期場面替え予定。
《高雄・鞍馬図》東京藝術大学
高雄・神護寺の「かわらけ投げ」、および鞍馬の「もっこおろし」を描く2幅。
《朝鮮通信使小童図》大阪歴史博物館
江戸時代に12回行われた朝鮮通信使。晩年の作だから、1711年の第8回または1719年の第9回時に描いたのだろう。
《田園風俗図屏風》サントリー美術館
夏から秋にかけての田園風俗。左隻には得意の?雨宿り図像も描かれる。右隻の子供たちが川で遊ぶ姿が楽しい。
なお、本展には出品されず、図版パネルで紹介される作品が2点。
《箍掛臼目切図》岡田美術館
桶や樽に「箍(たが)」という竹や金属で作った輪をはめる職人。
挽臼の摩滅した目を刻み直す職人。
その日暮らしの不安定な職人の図と、芭蕉、其角が既に亡くなった世を嘆じる賛。
《四季日待図巻》出光美術館
「日待」は、特定の日に人が集まって、徹夜で飲み食いし、日の出を拝んで解散という行事。
2点とも、所蔵館にて現在公開中。岡田美術館では6/9〜12/8。出光美術館では9/7〜10/20。
もっぱら都市風俗画を楽しむ。
なお、本展の特徴は、本記事では取り上げていないが、三宅島時代に島の人のために制作された作品が多く出品されていることであるようだ。今も島に残る作品も含まれる。
後期も訪問したいところ。