森洋子
『ブリューゲルの世界』
新潮社・とんぼの本
2017年刊
森洋子氏の『ブリューゲルの世界』の第2〜5章は「作品編」。ブリューゲルの油彩画真筆41点が、主題の内容別に紹介される。
41点のなかには、近年新発見された作品も含まれる。
ニュースで大々的に取り上げられたのが、2009年に発見され、2011年に初公開されたプラド美術館所蔵の《聖マルティンのワイン祭り》。
フリーワインに群がる人々。
プラド美術館2点目のブリューゲル作品。ブリューゲル作品としては、最大サイズ(148×270.5cm)。カンヴァスにテンペラで描かれているのも珍しいという。1560年代中頃の制作とされる。本書では、新発見のエピソードが見開き2頁で語られる。
もう1点が、個人蔵の《豚小屋に押し込められる酔っぱらい》。
放蕩したため豚並みに扱われる夫。村人の力を借りて夫に厳しいお仕置きをする妻。
1998年に発見され、真筆と認定される。それまで長年個人のコレクターが秘蔵。
1557年作と、現存油彩画のなかでは、最初期作品の一つとされる。本書にて、初めてこの作品の存在を知る。
「真筆」対象の本書では取り上げられないが、長年真筆とされながらも、近年真筆から外された作品も存在する。
そのなかで最も知られている作品は、ブリュッセルのベルギー王立美術館所蔵《イカロスの墜落》だろう。
2006年国立西洋美術館「ベルギー王立美術館展」にて、「ピーテル・ブリューゲル(?)」表記にて来日したことのある作品である。
本作を美術館が購入したのは1912年のこと。もともと「ブリューゲルの紛失作品の優れたコピー」として購入打診があり、値段もコピー相応の金額であったらしいが、美術館側は「新発見のブリューゲル」と考えた。翌年の美術館カタログには、美術館の4点目の真筆として掲載される。
1929年、ある展覧会に本作に類似した《イカロスの墜落》が出品される。当時個人蔵、現在ブリュッセルのヴァン・ビューレン美術館所蔵作品である。
以降、どちらがオリジナルでどちらがコピーか(あるいはどちらもコピーか、どちらもオリジナルか)の争いが繰り広げられる。
1996年、ヴァン・ビューレン美術館所蔵作品が脱落する。
年輪年代法により画家の原作ではありえないことが判明。以降「ブリューゲル周辺の画家」との表記に変更される。
2002年、ベルギー王立美術館所蔵作品も脱落する。
同館の「ブリューゲル社展」の開催前に行われた討議により、美術館は、本作を今後「ピーテル・ブリューゲル(?)」と表記することを宣言する。
結局2点ともブリューゲル作品ではない、ブリューゲルの原作は紛失した、との結論に落ち着いたのである。
2006年、来日したピーテル・ブリューゲル(?)《イカロスの墜落》。風景表現やその構成に感心した。板からカンヴァスに移された際に色層面や微妙なタッチが消失したり、画面の切断があったり、後筆があったりと状態はよろしくないらしいが、色彩も好ましく、ブリューゲルの真筆ではないとしても、魅力的な作品だと思った。ブリューゲル作品に接する機会がない私の感想だけど。
1984年初版(1991年四版)の中央公論社の画集『カンヴァス世界の大画家11 ブリューゲル』(森洋子氏)を見ると、近年真筆から外されたらしい作品がもう1点ある。
ベルギー王立美術館所蔵の《東方三賢王の礼拝》である。
なんと、ベルギー王立美術館のブリューゲルの真筆は2点も減少したのか!
なお、1984年の画集ではブリュッセルのデルポルト・コレクション蔵とあった《鳥罠のある冬景色》が、2017年の本書ではベルギー王立美術館蔵とあるので、2点減・1点増で3点所蔵と、ブリューゲルが活躍した都市ブリュッセルの王立美術館として面目を保っている。
ちなみに、ブリューゲル油彩画界の王者であるウィーン美術史美術館においても、1984年の画集では既に真筆から外されているが、1980年代に、晩年の異色の風景画とされていた《海上の暴風雨》が他の画家の作品に、《ベツレヘムの嬰児虐殺》が息子によるコピー作品に変更されたそうである。
もう一つ、1984年の画集では「ピーテル・ブリューゲルに帰属」として、巻末作品解説で小さな白黒図版のみの掲載であった《12のネーデルランドの諺》が、2017年の本書では、堂々真筆入り。アントワープのマイヤー・ヴァン・デン・ベルフ美術館蔵。同美術館は名作《悪女フリート》も所蔵しており、ブリューゲルを所蔵しないアントワープ王立美術館に代わって、ブリューゲルが活躍した都市アントワープの面目を保っている。
ブリューゲル油彩画真筆の世界も、移り変わっているようだ。
(元にした書籍)
森洋子氏『ブリューゲル探訪』未来社刊