関東大震災:伝説となった画家たち3人
柳敬助(1881~1923)
二科会創立メンバーの一人。1923年5月、42歳で病のため死亡。
その年、友人の企画で遺作展が日本橋三越にて計画されるが、9月1日開催当日に関東大震災が発生。各地から集められていた遺作30数点が消失する。
このこともあって現存する作品は、僅かしかなく、画業に対する評価もあまりなされなかったという。
東京国立近代美術館の常設展示では、《白シャツの男》を見る機会がある。
久米民十郎(1893~1923)
1914年、学習院中等科を卒業し、ロンドンに渡る。1918年帰国。1920年に帝国ホテルで初個展、《支那の踊り》(永青文庫)を出品、巫女を使って描く「霊媒画」と新聞で紹介される。1921年再渡欧、1923年4月帰国。
再々渡欧を翌日に控えた9月1日、横浜のオリエンタル・パレス・ホテルに滞在中、関東大震災が発生。石造・煉瓦作りの洋館であった同ホテルは一瞬にして倒壊、内部にいたものは逃げる間もなく圧死したという。
残された作品は少なく、神奈川県立近代美術館に12点がまとまって所蔵されているのが目立つ程度らしい。(ブリヂストン美術館「描かれたチャイナドレス」展、2014年)
徳永柳洲(1871-1936)
新宿・双葉町の自宅アパートで、関東大震災にあう。自宅は全焼、新宿御苑に逃れ一晩を野宿。翌日から市中を歩いて惨状を見てまわり、スケッチをとる。
そして、門人とともに、震災後1か月余のあいだに、2メートル四方ほどの大型震災画25点を制作し、「移動震災実況油絵展覧会」を組織。移動展は、富山県の数箇所で開催、確実ではないようだが、日本全国や米国各地へも巡回したといわれているらしい。
大型震災画25点のうち21点は、JR両国駅近くの横網町公園内の東京都慰霊堂および東京都復興記念館に常設展示されている。加えて新発見の3点が、修復を経て、2014年に初公開された。(東京都復興記念館「徳永柳洲と大型震災画」、2014年)
《日本橋附近災害の夜景》
(2015.8掲載、2019.8更新)