スイス航空の1943-44年冬季の時刻表を眺める。
スイスデザインの展覧会時に入手したポストカードである。
時刻表は1葉、路線はわずか1路線、1日1往復2便であったようだ。
その1路線は、チューリヒとドイツのシュツットガルトを結ぶ便。
運行は毎日1便。所要時間は50分。
機体は米国ダグラス社のDouglas DC-2、座席数は14席。
シュツットガルトに行くと、それから先の便に乗り換えることができる。おそらくルフトハンザ航空なのだろう。
一つが、ドイツの首都ベルリン。
シュツットガルト→ベルリン便は、週3便。運行日にチューリヒを出発すればその日のうちに乗継ぎが可能に見える。
ベルリンに行けば、さらにその先の便がある。
・ベルリン→マルメ→ストックホルム→ヘルシンキ
・ベルリン→コペンハーゲン→オスロ
・ベルリン→プラハ→ウィーン→ブダペスト→バルカン半島の都市
・ベルリン→ヴェネツィア→ミラノ
が挙げられている。
もう一つが、イベリア半島。
シュツットガルト→リヨン→バルセロナ便が、週3便。
その先、バルセロナ→マドリード→リスボン便が週3便。
運賃も記載されている。
・シュツットガルト 45 SFr.
・ベルリン 170 SFr.
・バルセロナ 282 SFr.
・マドリード 395 SFr.
・リスボン 518 SFr.
これにkgあたりの荷物料金がかかる。
スイス航空は、以前はおそらく国内や欧州主要都市との路線があって相応の便数があったのだろう。
この時期は、ドイツ・ルフトハンザ航空に依存して、ドイツと枢軸国、中立国との路線を維持することにより何とか営業を続けていたようである。
ただし、戦況がこの時刻表どおりの運行を許したとは限らない。