キース・ヘリング展
アートをストリートへ
2023年12月9日〜2024年2月25日
森アーツセンターギャラリー
キース・ヘリング(1958-90)。
米ペンシルベニア州出身で、ニューヨークで活動する。
その活動期間は、1980〜90年と10年ほどであり、米国では概ねレーガン大統領の時代と重なり、日本ではその中後半はバブル期に重なる。
リアルでは知らず、これまで美術館で作品を見たという記憶もなく、もっぱら商業的なデザインとして接してきているが、?というのが正直な印象。
実物を見れば印象が変わるかもしれない、と期待しての訪問。
本展の出品作のほとんどは、山梨県北杜市に所在する中村キース・ヘリング美術館の所蔵である。
第1章の「サブウェイ・ドローイング」、これが非常に良い。
中村キース・ヘリング美術館所蔵作品2点。
個人蔵(マルトス・ギャラリー寄託、NY)5点。
美術館やギャラリーといった限られた人が訪れる空間から、公共の場でアートを展開する方法を模索していたヘリング。
人種や階級、性別、職業に関係なく、もっとも多くの人が利用する地下鉄に注目。
「ここに描けばあらゆる人が自分の作品を見てくれる」と考え、地下鉄駅構内の空いている広告板に貼られた黒い紙に、チョークでドローイングを始めたという。
1980年から始まった「サブウェイ・ドローイング」プロジェクト。空き広告板を見つけては描くということがほぼ日課のようになり、多いときには1日40点近く描いたこともあったという。
しかし、有名になるにつれてドローイングは剥がされ、売買されるようになったため、1985年にこのプロジェクトは中止される。
会場に入ってすぐ、展示室の前室となる通路には、「サブウェイ・ドローイング」を描くヘリングの写真が紹介される。
これら写真は、アーティストであり美術ジャーナリストの村田真が雑誌『カレンダー』(月刊『びあ』の別冊)1983年4月号のために、1982年12月27日から翌年1月4日、ニューヨークで密着取材を行い撮影したものだという。
1982年頃には、既に著名な存在だったのですね。
第2章以降は、商業的なデザインとして見た記憶がある(ような)イメージどおりの作品が並ぶ。
社会へのメッセージ発信にも熱心なアーティストであったことを認識する。
描いているものは同じに見える。
最終章は「キース・ヘリングと日本」(撮影不可)。
3度来日したことに加え、1988年には東京・青山にグッズ販売ショップをオープンさせたという。商売熱心。さすがバブル時代。
若くしてトップ・アーティストとなって、約10年間を駆け抜けていったんだなあ。
日本にいると、どうしてもバブルの時代と結びつけたくなる。