「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容
瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄
2023年12月2日〜2024年2月4日
渋谷区立松濤美術館
【本展の構成】
第1章 1930-40年代
瀧口修造と阿部展也 前衛写真の台頭と衰退
第2章 1950-70年代
大辻清司 前衛写真の復活と転調
第3章 1960-80年代
牛腸茂雄 前衛写真のゆくえ
写真の展覧会。印象に残る展示2選。
1)瀧口修造(1903-79)の1958年欧州旅行
瀧口は、1958年5月25日、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表兼審査委員として、ヨーロッパに旅立つ。
ヴェネツィアでの公務のあと、パリを拠点とし、各地を回る。4カ月以上の旅となる。
これが、瀧口の生涯で唯一の海外渡航であるらしい。
この旅で瀧口が撮影した写真が取り上げられている。
といっても、写真の実物展示は、ヴェネツィアで撮影した1点(開催館所蔵)のみ。
千数百カットにおよぶ写真は、母校の慶應義塾大学アート・センターが所蔵しており、そのごく一部が映像で紹介されている。
以下、映像で紹介される写真に沿って、瀧口の旅程を確認する。
【イタリア:5/25〜7/9】
ローマ 5/25〜30
ヴェネツィア 5/30〜6/18(公務)
フィレンツェ 6/18〜23
★このあと、ミラノに滞在。
【フランス:7/9〜8/6、8/21〜27】
ジュジェ(仏) 7/28
【スペイン:8/6〜21】
バルセロナ 8/6〜9
ポルト・リガド 8/10
★フィゲラスのサルバドール・ダリの自宅を訪問する。偶然マルセル・デュシャンに出会う。
トレド 8/16
マドリード 8/18〜20
【ベルギー:8/27〜9/10】
ブリュージュ 8/31〜9/1
ブリュッセル 9/1〜10
★ブリュッセル万博に通う。ヘント、シャルルロワ、アントワープにも行く。
【オランダ:9/10〜20】
★写真紹介なし。オランダ(スヘルトヘンボス、デン・ハーグ、デルフト、ロッテルダム、アムステルダム、エデ、オッテルロー)では、ヒエロニムス・ボスの作品をたずねる。
【スイス:9/20〜10/5】
チューリヒ 9/24
★スイス(チューリヒ、ベルン、フリブール、バーゼル)では、パウル・クレー作品をたずねる。
【フランス:10/5〜12】
コルマール 10/5
★念願の「イーゼンハイム祭壇画」を見る。
★最後にパリで、アンドレ・ブルトンとの会見を果たす。
★10/12、帰国。
「イーゼンハイム祭壇画」を見ることができたのは良かった。実見したとしないとでは、北方ルネサンスに対する思いが違ってくるだろう。
ドイツ・オーストリアには行っていないようだ。
2)大辻清司(1923-2001)の映像作品
大辻の映像作品《上原2丁目》を見る。
13分47秒の作品だが、椅子に座って2度見る。足の休憩を兼ねている。
1973年5月4日16時の、渋谷区上原2丁目43の街角にカメラを置き、老若男女が道を行く光景をただ映すだけ。
カメラに気づいたのだろう、こちらの方向に目を向ける人もいるが、それ以上近づいてくる人はいなかったようだ。
小学校が近いのだろう、下校途中らしい子どもたちが高い頻度で映る。
当時の5月4日は平日であったことが分かる。
なんでもない風景。
地方都市出身で、時代も微妙にずれている私も、かつてあの世界に生きていたんだなあ、と思いながら見る。
舞台が東京の街だからこそ成立した作品のような気がする。
第2章の大辻清司や第3章の牛腸茂雄(1946-83)の「なんでもない」写真。
基本的に東京を舞台とする50〜40年ほど前の作品。
その芸術的価値は私には分からない。
「彼らが見なければ存在しなかった世界、誰にも見られていない時間あるいは空間の発見」なのかもしれない。
その世界を見なかった側にいた私は、懐かしさをもって作品を見ている。