ディン・Q・レ展:明日への記憶
2015年7月25日~10月12日
森美術館
終結40年、ベトナム戦争の記憶を、ベトナム人の視点から作品化し、アメリカ人や世界の人に提示する。
作者ディン・Q・レは、1968年、カンボジアとの国境近くの町生まれ。10歳のとき、ポル・ポト派の侵攻を逃れるため、家族とともにタイを経由して渡米。NYにて写真やメディアアートを学び、現在ホーチミン在住。
現代美術をいつも敬遠する私でも、観てよかったと思う展覧会。
1)ディン・Q・レ《農民とヘリコプター》2006年
3チャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、手作りの実寸大のヘリコプター 15分
「ベトナム戦争を象徴するアイコン」ヘリコプターを巡り、ベトナム人のさまざまな思いが表現される。
3面のビデオ。戦争中の米軍ヘリコプターの記憶。農作業や人命救助といった平和利用のため、独自にヘリコプターを開発する農民と独学の技術者は、先進国では容易に利用できるものを、ベトナムでも利用できるようにならなければとの思い。一方で、ヘリコプターは個人的に絶対に受け入れられないと語る女性。この思いの違いは重い。
ハリウッド映画や記録フィルムの戦争中のヘリコプターの映像が隣の2面に流れる。冒頭に流れるトンボの映像が美しい。
2)ディン・Q・レ《傷ついた遺伝子》1998年
シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、手編みの子ども服、ぬいぐるみ、人形、おしゃぶり 16分
ぱっと見、Kawaii人形や服。
実は、結合双生児を象ったもの。
米軍が大量散布した枯葉剤。そこに含まれていたダイオキシンによる、健康被害と先天異常への影響。作家は、議論喚起を目的とする公共プロジェクトとして、人形や服を制作、ホーチミンの店で展示・販売する。
3)ディン・Q・レ《抹消》2011年
シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、写真、石、木製ボートの断片、木製通路、コンピューター、スキャナー 7分
暗い照明の展示室、木製の渡り通路を進みながら見るのは、白い海、岩、座礁していく難民船のCG映像、そして座礁した難民船の残骸。白い海は、裏返した肖像/家族写真を大量に敷き詰めたもの。写真は、作家がホーチミンのマーケットで買い集めたもので、その多くは戦争の只中、国外へ亡命した人々が置いていったものだという。
白い海は、今は穏やかであるが、脱出中に命を落とした難民たちの記憶でできている。
案内に従い、私も写真を1枚選ぶ。表を見る。成人女性の「肖像写真」。渡り通路途中の机の上の箱にいれる。写真は、スタッフがスキャンし、ウェブサイトに記録としてアップロードするという。
上記以外
「1963年にベトナムにおける仏教徒弾圧に抵抗して焼身自殺するベトナム人僧侶」や「1972年、ナパーム弾攻撃を受けて裸で逃げ惑う9歳のベトナム少女」という有名な報道写真をただ横に引き延ばした《巻物シリーズ》、なんと50メートル引き伸ばし。規格外のアナモルフォーズ作品。
ベトナム戦争最後の日、サイゴンから脱出するため、米軍のヘリコプターが海上の空母に次々と着艦、後続機のスペースを確保するため、米兵の手で船上のヘリコプターを海に投棄した出来事。これをネイティブ・アメリカンのバッファロー狩りの様子にたとえた映像作品《南シナ海ピシュクン》。キンチョーに毒された私には、蚊取り線香にやられ落ちる蚊にしか見えない。
《ホーチミンの街角から》着想を得た作品。禁止されているポルノビデオを売るサインは、古いCD盤。
《ミレニアムにはベトナムへ》シリーズ。観光ポスター風の作品に、アメリカ人向けのブラックジョーク。「おかえりなさい、サイゴンへ。唾を吐きかけたりしないから。」「おかえりなさい、ソンミ村へ。今度は素晴らしいビーチへどうぞ。」
ベトナム戦争の従軍画家へのインタビューと彼らが描いた実際のベトナム戦争の従軍画家へのインタビューと彼らが描いた実際の作品《光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ》。現地の少女の日常の姿、あるいは武器を持った姿のスケッチが印象に残る。
本展は、作品の写真撮影可能。
掲載写真はいずれもクリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。