シャルル=ルネ・ド・ポール・ド・サン・マルソー
《マリー・バシュキルツェフの胸像》
1895年頃、94×50×33cm
国立西洋美術館(松方コレクション)
〈会場内解説〉
像主のバシュキルツェフは、1858年にウクライナで貴族の家系に生まれ、フランスで活躍した画家です。
パリのアカデミー・ジュリアンで学びつつ、バスティアン=ルパージュに代表される当時の自然主義的傾向を取り入れ、主として女性や子どもたちの肖像画・風俗画を描きました。
しかし、今日彼女の名を知らしめているのはむしろ、25歳の若さで世を去る(補記:肺結核による)まで書きためられた膨大な「日記」でしょう。
異邦人、女性、そして芸術家の顔を持った個人の内面を、同時代の社会の諸相とともに繊細かつ情熱的な筆致で活写した日記は、彼女の死後に公刊され、その一生を神話化することとなります。
フランスの彫刻家マルソーの手になるこの胸像は、バシュキルツェフの霊廟を飾るために制作された作品に基づくヴァージョンのひとつと思われます。
*画家は美人であったので取り巻きが多く、この彫刻家はその一人だったとのこと。
【マリー・バシュキルツェフの作品】
Marie Constantine Bashkirtseff(1858-84)
《パレットを持つ自画像》
1883年、114×95.2cm
Musée des Beaux-Arts Jules-Chéret, Nice
《集合》
1884年、195×177cm
オルセー美術館
《画家の義姉(義妹)の肖像(Alexandrine Patchenko)》
1881年、92.5×73cm
アムステルダム国立美術館
《アトリエにて》
1881年、188×154cm
Dnipropetrovsk Museum of Fine Arts, Dnipro, Ukraine
*画面右端の黒い服の女性が画家自身であるとのこと。
《読書》
1882年頃
Fine Arts Museum Kharkiv, Ukraine
*Wikipediaによると、画家の母親が1908年にアレクサンドル3世記念ロシア美術館(後の国立ロシア美術館)に寄贈した100点を超える画家の作品のうちかなりの点数がウクライナの美術館に移管されるが、第二次世界大戦中にその大半が失われたとのこと。
《傘》
1883年、93×74cm
国立ロシア美術館、サンクトペテルブルク
*部分画像の右側中央、少女の黒い服の上に記された文字が何なのか気になる。
【国立西洋美術館のFacebook】
所蔵品紹介シリーズ(32)(2020.6.22)
【国立西洋美術館のプレスリリース】
募金活動のお知らせ: 《マリー・バシュキルツェフの胸像》展示に伴う、 ウクライナの美術館、博物館の復興支援について(2022.6.24)