2024年7月、高知に2泊3日の観光旅行を敢行する。
目的は、香南市赤岡町の商店街にて、毎年7月第3土・日曜に開催される「土佐赤岡絵金祭り」。
土佐出身の絵師・弘瀬金蔵(1812-76)、通称「絵金」。
初めて名前を知り、初めて作品を観たのは、2010年の板橋区立美術館「諸国畸人伝」展でのこと。
「畸人」(既存の流派にとらわれない個性的な絵を描く画家たち)として取り上げられた10人の絵師の1人で、芝居絵屏風4点が出品された。
以降、絵金はとても気になる存在となる。
2012年、高知県立美術館にて、生誕200年記念の大規模回顧展「大絵金展 - 極彩の闇」が開催される。それを知ったのは閉幕間近の頃で、今さら動くこともできず、一般書籍として販売されていた図録を購入することで我慢する。
2020年、江戸東京博物館「奇才 - 江戸絵画の冒険者たち」展にて、2度目の作品鑑賞。
同展は、コロナ禍のため開幕が遅れ、会期は3分の1に短縮。絵金については、芝居絵屏風4点の出品で、おそらく前後期2点ずつの展示計画であったと思われるが、短縮された会期では、4点すべてが同時展示された。なお、その後、所用で大阪に行った際、あべのハルカス美術館に巡回した本展を訪問し、2点を再見している。
2023年、あべのハルカス美術館にて、高知県外では50年ぶりだという大規模回顧展「幕末土佐の絵師 絵金」が開催される。行きたかったが都合がつかず、結局断念する。
そして、2024年、前年のリベンジとばかり、本拠地・高知への旅行を決断する。
絵金は、1812年、高知城下新市町(現・高知市はりまや町2丁目)に町人の子として生まれる。
1829年、画才を認められて、土佐藩主の息女の駕籠かきとして江戸に出立し、狩野派を本格的に学ぶ。1832年に帰国し、土佐藩家老家の御用絵師となる。
しかし、1844年頃、スキャンダル(贋作事件)に巻き込まれ、御用絵師を免職となり、城下を追放されたといわれている(藩の記録には残っておらず、真相は不明)。
絵金は、藩内各地を放浪するなか、一時期、叔母を頼って赤岡に滞在、造り酒屋の土蔵を画室とし、町の旦那衆の求めに応じて、須留田八幡宮の大祭に奉納するための芝居絵屏風を数多く制作する。
この芝居絵屏風 - 歌舞伎や浄瑠璃の芝居を二曲一隻の屏風に描いた土佐独特の形式の屏風 - が「土佐赤岡絵金祭り」の主役。
町内に残る全23点の絵金筆の芝居絵屏風が、商店街の軒先に露出展示される。
これまで私が見たことがある絵金の作品は、すべて、赤岡町内に所蔵される次の芝居絵屏風6点。
《播州皿屋敷 鉄山下屋敷》板橋・江戸博
赤岡町横町二区
《浮世柄比翼稲妻 鈴森》板橋
赤岡町本町一区
《伊達競阿国戲場 累》板橋・江戸博
赤岡町本町二区
《伽羅先代萩 御殿》板橋
赤岡町本町二区
《花衣いろは縁起 鷲の段》江戸博
赤岡町本町二区
《東山桜荘子 佐倉宗吾子 別れ》江戸博
赤岡町本町二区
絵金は、町絵師として、城下のみならず藩内各地で活動し、芝居絵屏風のほか、絵馬、絵馬提灯、幟、絵巻、掛け軸、白描など、職人の領域とされる分野も幅広く制作。弟子も多数。絵金派を含めたその活躍と作品群により、高知では一昔前まで「エキンさん」が絵師を意味する一般名詞になるほど、大衆に浸透していたようである。
亡くなったのは明治9年。幕末に活躍した絵師である。
「土佐赤岡絵金祭り」における芝居絵屏風の展示は、19時から21時まで。
それに合わせ、高知駅16:42発のJR土讃線・土佐山田行に乗って後免駅下車、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り換えて、「あかおか駅」17:22着。この時間は乗り換えが必要であったが、直通電車もある。
「あかおか駅」から「土佐赤岡絵金祭り」の会場となる本町・横町商店街までは徒歩7分ほどで到着。近い。駅を背にして北に進めば、迷うことはない(人の流れについていっただけであるが)。
まずは会場をひとまわりして、「絵金蔵(えきんぐら)」前で「ふるまい酒」をいただき、おにぎり&地元の高木酒造の日本酒を購入し、腹を満たす。
夜間開館の「絵金蔵」に入館・鑑賞のあと、19時過ぎから商店街の芝居絵屏風の展示を見る。
帰りは「あかおか駅」20:07発、高知駅20:44着の直通電車に乗る。
赤岡での滞在時間は2時間半、芝居絵屏風鑑賞は1時間弱。
「あかおか駅」21:03発や21:55発の電車があり、もう少し滞在可能なのだが、1人旅ではないので自由にはならない。
その翌日は、香南市野市町にある絵金派アートギャラリーに行く。
鑑賞記録は、別記事とする。