横浜美術館開館30周年記念
オランジュリー美術館コレクション
ルノワールとパリに恋した12人の画家たち
2019年9月21日〜20年1月13日
横浜美術館
オランジュリー美術館所蔵の「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」を紹介する展覧会。
全国5会場(東京はBunkamuraミュージアム)を巡回した1998-99年以来約20年ぶりの開催で、今回は横浜美術館でのみの開催である。
前回行った記憶はあるが、何を見たのか全く記憶に残っていない。個々の作品は各種展覧会で結構な頻度で来日している印象がある。なので今回それほど期待していなかったが、とんでもない。見応え充分、充実の展覧会である。
まず、オランジュリー美術館の「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」の総点数と画家別内訳について、前回1998年および今回2019年の来日状況とともに確認する。
(凡例)
画家:総点数-1998来日点数-2019来日点数
合計 :144-81-69
モネ : 1-1-1
シスレー: 1-1-1
セザンヌ:15-14-5
マティス:10-10-7
ルソー :9-6-5
ピカソ :12-7-6
ルノワール:24-17-8
モディリアーニ:5-5-3
ドンゲン : 1-1-1
ドラン :28-6-13
ローランサン:5-4-5
ユトリロ :10-3-6
スーティン:22-6-8
ゴーギャン:1-0-0
「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」は、わずか(?)14人の画家の作品からなる。
今回は前回と比べて、総点数が減少、特に印象派の巨匠の点数が減少しているように見えるけれども、見応えには影響しない。本コレクションの旨味は、印象派にはない。エコール・ド・パリとその時代にある。前回来日したが今回非来日の作品で、私的に少し残念なのは、ピカソの赤の時代の1点とモディリアーニの若い男性を描いた1点程度。
「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」。
ポール・ギヨーム(1891-1934)は、パリの画商で、モディリアーニやスーティンを発掘して世に出したほか、アメリカの富豪バーンズのコレクション収集に協力したことで知られる。コレクターとしても知られ、自らのコレクションによる美術館を作ることを夢見ていたが、叶うことなく死去する。
ギヨームのコレクションを引き継いだ妻のドメニカ(1898〜1977)。ドメニカは、自らの趣味によりギヨームのコレクションを改変していく。コレクションの一部を売却し、新たに購入した作品を付け加える。この過程でコレクションはその前衛性が薄まっていく。原コレクションの正確な復元作業は難しいと言われているようだ。
具体的にドメニカはコレクションをどう改変したのか。
1 モネ、シスレー、ゴーギャン、セザンヌを購入する。
→ 本コレクションのモネ、シスレー、ゴーギャンは各1点ずつで、全てドメニカが購入したもの。また、セザンヌ15点のうち大半がドメニカが購入したもの。特にセザンヌ《りんごとバスケット》は、オークションでの高額落札が評判となったという。印象派の作品もひととおり欲しかったというところだろうか。マネ、ドガ、ピサロやゴッホはないけど。
2 ルノワールを買い足す。
→ルノワール自体は、《ピアノを弾く少女たち》など、原コレクションにも多くの作品が含まれていた。
ドメニカは、《桟敷席の花束》や《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》といった、ルノワールらしい作品を購入し、強化に努めている。
3 マティス、ピカソを売却する。
→マティスについては、ギヨームは「1910年代の大型の絵画と、1920年代のより穏やかな画風の作品」を買い集めたが、ドメニカは「主にニース時代(1917〜29)に描かれた作品以外は手放してしまった」。
ピカソについても、ギヨームは「キュビズム期については扱わず、それ以前とそれ以後の作品のみを扱っていたように見える」が、決してそういうことではなく、ドメニカが「この時期描かれた作品のなかでももっとも前衛的で大胆な作品を手放してしまった」。
ドミニカは、両画家の作品を含む前衛的な作品を中心に200点余りを売却したとされる。
4 ドランには手を付けない。
→フォーヴから伝統への回帰を遂げたドランの画風は、ギヨームの嗜好にもドメニカの古典的な嗜好にもあっていたようで、ドラン作品は、コレクション最大の28点を維持する。
また、ギヨームが発掘したモディリアーニやスーティンの作品もその多くを残しているようである。
5 デ・キリコやルオーの作品は?
→ギヨーム存命時の1929年にそのコレクション126点を紹介する展覧会を開催している。その中には、デ・キリコやルオー、フォートリエ、ヴラマンクなどの作品もあったとのことだが、現コレクションにないのは何故?
華やかな生活でスキャンダラスな話題もあったらしいドメニカは、コレクションを国家に売却する。
その条件の一つが、コレクションに最初の夫であるギヨームと2番目の夫である建築家ジャン・ヴァルテル(1883〜1957)の名前を使用すること。だから「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」。ただし、建築家はコレクションの設立にはまったく関わっていないとのことである。