生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真
2024年2月23日〜4月14日
東京ステーションギャラリー
「日本近代写真の金字塔」
安井仲治(1903〜42)。
大阪市生まれ。18歳で同好の士が集う関西の名門・浪華写真倶楽部に入会し、またたく間に日本全国にその名を知られる写真家となる。腎不全により38歳で亡くなるまでの約20年、日本写真界のフロントラインをひた走る。
私的には、これまで、「流氓ユダヤ」シリーズを撮影した写真家の一人、くらいの認識しかなかった。
1941年の神戸には、杉原千畝在リトアニア領事の発行した通過ビザによりヨーロッパ各国のユダヤ人難民が一時的に身を寄せていた。
安井を含む丹平写真倶楽部のメンバーが、彼らを撮影し、共同で発表したのが、「流氓ユダヤ」シリーズである。
安井の「流氓ユダヤ」シリーズは、《流氓ユダヤ 窓》くらいしか見たことがなかったので、シリーズの他作品を目当てに本展を訪問したようなもの。
本展には11点が出品されている。
イメージとなんか違うなあ、勝手に思い込んでいたかなあ、と思ったが、その後、美術手帖サイトに掲載されている兵庫県立美術館学芸員・小林公氏のインタビュー記事を読み、そういうことなのかも、と思う。
じつは流氓ユダヤの写真に関しては、いろいろなところから図版使用のお願いをいただくのですが、別作家の写真を含めて候補をご提示すると、安井の写真が選ばれることはあまりありません。ひとりの作家の表現にはなっているけれど、歴史的な出来事の「説明」には適さないからかも知れません。安井の作品は特定の事件の記録であることを超えて、困難な環境に生きる人間の姿そのものを象徴的に表現している。独特の陰影が胸を打つ作品です。
2023.12.15 美術手帖サイト記事「日本写真史において唯一無二の存在。キュレーターとめぐる、安井仲治の20年ぶりの展覧会」より。
安井の写真が約200点、5章構成で紹介されるが本展。
私が特に見たのは、第5章に属する、戦時体制において撮影された、「流氓ユダヤ」シリーズを含む晩年の作品群である。
そのなかでもっとも印象に残るのは、《犬》1939年。
愛知県渥美半島への撮影旅行時の作品。
画面下部に所在なさげな犬の姿が小さくあるので作品名は《犬》なのだが、注目は、背景の手書きによる掲示板。
左の掲示板は、第25回全国中等学校優勝野球大会の速報。1回戦からの全20試合の結果と、決勝は下関商(岡山・広島・山口地区代表)vs海草中(奈良・和歌山地区代表)となることが掲示されている(クイズ:さて、出場校は何校でしょう? 引き分けはありません)。
中央の掲示板は、日本軍の九龍半島における戦況や、ドイツ・ポーランドの緊迫した状況を伝えている。
右の掲示板は、広告で、「ヤスクテ アヂガヨイ」「天然うなぎ蒲焼、さかな照焼」「益々好評」。
この3つの組み合わせは見事である。
《緑陰》《白衣勇士》《白衣勇士(着座)》1940年は、丹平写真倶楽部の有志とともに、銃後奉仕として、紀伊白浜の大阪陸軍病院白浜臨時転地療養所を慰問し、撮影したもの。傷痍軍人の家族に送るための写真を撮影し、寄贈する目的。
《(顔)》と題される2点(1940年頃)は、女学生の集団を撮しているのだが、どういう作品なのだろう。
うちフォトスポットに採用されている1点は、女学生たちがいっせいに首を回している様子のようだ。
サーカスの一団を撮した「山根曲馬団」シリーズ(1940年)も、なかなかのインパクト。
《(馬と少女)》がメインビジュアル(の一つ)。
《(道化)》がフォトスポットに採用。
入場時に渡される入場記念券は4種類ほどあるようで、使用作品に応じて券の形が異なっているのがおもしろいのだが、私には《(サーカスの女)》が当たる。
以上のような好みを踏まえると、私は「その時代の「説明」」を写真に求めているのかもしれない。
《(少女と犬)》1930年代後半
第3章に属する作品。
少女と犬の視線に参る。
【本展の構成】
1 1920s - 仲治誕生
2 1930s-1 - 都市への眼差し
3 1930s-2 - 静物のある風景
4 1930s-3 - 夢幻と不条理の沃野
5 Late 1930s-1942 - 不易と流行
本展は、愛知県美術館、兵庫県立美術館で開催済みであり、東京ステーションギャラリーが最後の巡回地である。