東京でカラヴァッジョ 日記

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雪村展の後期を観る。(東京藝術大学大学美術館)

2017年05月03日 | 展覧会(日本美術)

雪村-奇想の誕生
2017年3月28日〜5月21日
東京藝術大学大学美術館

 

   「ゆきむら」ではなく「せっそん」です。


   15年ぶりの大回顧展、雪村展。
   前期は2回訪問するも苦戦。
   重文《風濤図》が出品される後期、少しでも挽回したいところ。

 


   3階の展示室入口、順路に従えば右手に進むのだが、左手に見える「虎」の姿に引かれて、順路に従えば3階展示室の一番最後に登場する作品を先に見る。


No.65《龍虎図屏風》
根津美術館

   後期の前半(4/25〜5/7)限定展示。

「暈(ぼか)しを多用した粗放な墨法がすさまじいばかりの表出力を生み、戦国地方画壇の風雲児と評される雪村の個性を遺憾なく発揮している」(根津美術館HPより)

   この作品の「粗放な墨法」は取っ付きやすい。初見かも。

 


   すぐに正統な順路に戻る。
   会場冒頭の通期展示の三幅対《欠伸布袋・紅梅梅図》を過ぎて、最初の展示室に入ると、真正面には。


No.29 重文《風濤図》
野村美術館

「今にも木が折れそうなくらいの強風が、まるで絵そのものを揺り動かしているかのようです。」

   9年ぶり2度目の鑑賞だが、やはりいい。9年前ほどにはのめり込まないのは、再見だからか。

 


No.38 重文《琴高仙人・群仙図》
京都国立博物館

   鯉にまたがる仙人、それを見ている弟子たちの三幅対。
   本作の照明が他作品より暗めなのは、作品保護のためか。

 

No.51 《呂洞賓図》
個人蔵

   前期展示の重文《呂洞賓図》大和文華館蔵(No.49)との入れ替わり。

   いずれの作品とも、呂洞賓(りょどうひん)は、あり得ない角度まで顔を上に向けている。その様は、首の骨が折れているかのよう、しかも開いた口からは舌が出ている。と、まるで死人を説明しているかのようである。

 


No.64《四季山水図屏風》
郡山市立美術館

「雪山に一人登る人」

   戦国時代の『なぜ山に登るのか』『そこに山があるから』人。雪村はそういう人を描いたのだろうか。

 


No.89《花鳥図屏風》
栃木県立博物館

「右側がとても込み入っていて何が何だか分からないのは、本来は2倍の大きさだった画面を縮めて再構成しているからです。」


   「本来は2倍の大きさだった画面を縮めて」とはどういうこと?

 


No.91《猿猴図》
茨城県立歴史館

   遊ぶのに理屈はない、遊ぶために遊ぶ。我遊ぶ、故に我あり、の猿。これなら遊びたくなるわ、と納得の川の流れの描写。

 


No.92《李白観瀑図》
個人蔵

「しかも、このサンタクロースのような老人、とても詩人には見えません。」


   戦国時代の画家の作品説明に、サンタクロースを持ち出すのは如何なものか。

 


No.102《雪景山水図》
京都国立博物館

「雪に包まれた山間。戸外では多くの人々が活発に活動し、不思議なことに、建物はすべての戸口と窓を開け放っています。その中にも社交を繰り広げる人々の姿があります。現実にはあり得ない、ここは雪の村の桃源郷です。」


   「雪の村の桃源郷」。後期における最後から2番目の展示作品の説明に、その文言を持ってきたか。

 


No.106 重文《自画像》
大和文華館蔵

   後期の後半(5/9〜5/21)の展示か・・・。観るために、もう一度訪問すべきだろうか。

 


   前期と比べると、「苦戦」症状は改善の兆しが多少見えてきた感。

   余裕があれば、後期の後半にもう一度訪問してみたいところ。



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