東京でカラヴァッジョ 日記

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圧巻!! ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《女占い師》!! -「メトロポリタン美術館展 2021-22」

2022年05月10日 | メトロポリタン美術館展2021-22
メトロポリタン美術館展
西洋絵画の500年
2022年2月9日〜5月30日
国立新美術館
 
 
圧巻!!
 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593〜1653)
《女占い師》 
おそらく1630年代、101.9×123.5cm
メトロポリタン美術館
 
   本展図録の表紙&東京展のメインビジュアルを務めるラ・トゥール《女占い師》 。
   実に素晴らしい。
 
 
登場人物5人の表情
 
占い師の老女
 若者にもっともらしく運命を告げるその顔、皺、目、鼻、口に見惚れる。
 白の被り物の描写も目を引く。
 
スカーフを被る若い女性
   きれいな卵形をした顔、白く磁器のような肌に見惚れるが、実は悪い目付き。
 
黒い髪の若い女性
   黒い髪と褐色系の肌に見惚れるが、実は悪い目付きと悪い口元。
 
左端の女性
   表情は伺えないが、悪い表情をしているのだろう。
 
中央の青年
   多少は警戒している? 自然体?
 
 
登場人物たちの豪華・鮮やかな衣装
 
占い師の老女の衣装
   動植物の刺繍!!
 
 
スカーフを被る若い女性の衣装&手
 
左側の二人の女性の衣装&手
 
 
青年が肩から下げている鎖
 
 
青年にまとわりつく手たち
 青年の背中側でも、手がまとわり回っているのかも(5/8NHK日曜美術館の荒木飛呂彦氏コメントに感心)。
 
 
 
   以下は、2021年1月掲載記事を一部修正のうえ再掲。
 
 
   絵画の歴史において、偉大な画家が「発見」されたり、「再発見」されることは、それほど珍しい話でない。たとえばピエロ・デッラ・フランチェスカや、カラヴァッジョ、フェルメールなどがそうである。彼らは現在では誰もが認める巨匠たちだが、100年前はそれほど注目される画家ではなかった。しかし、そうはいってもその存在は知られており、作品も彼ら自身のものとして分類されていた。その点が、ラ・トゥールのケースとは根本的に異なっている。ラ・トゥールの場合は、その存在や名前自体が忘れ去られ、作品はすべて歴史の闇に埋もれていたのである。
 
  ジャン=ピエール・キュザン&ディミトリ・サルモン著『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』(創元社、2005年2月刊)の冒頭である。
 
   1915年、ドイツの美術史家フォスが、フランスの2つの地方美術館(レンヌ美術館、ナント美術館)が所蔵する作者不詳の絵画3点を、17世紀にロレーヌ地方で活動した1人の画家に結びつける論文を発表する。ラ・トゥールの「発見」である。
   以降、作品の発見が相次ぎ、1934年にパリで12点を集めた回顧展が開催され、オランダのレンブラントやスペインのベラスケスに匹敵しうる「待望」の「17世紀のフランスの巨匠」とされるようになる。国家の文化政策として「巨匠の創生」が行われてきたような印象。
 
   2005年には、日本でも国立西洋美術館で「ラ・トゥール展」が開催されている。同展には、画家の真筆とされる作品以外にも、コピーとされる作品も少なからず出品されていたが、コピー作品であっても貴重で重要で特別な作品なのだという雰囲気の取扱い・説明がなされていた印象がある。レオナルド・ダ・ヴィンチと同等レベルとも言えるその取扱いと推しの強さには、ラ・トゥール作品の素晴らしさに賛同しつつ、違和感を覚えたものである。
  
 
   本年(2021年)11月〜翌年1月に大阪市立美術館で「メトロポリタン美術館展」が開催される。
   出品作は、現時点(2021年1月)では次の1点のみ発表されている。
 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 
《女占い師》 
1630年代、101.9×123.5cm 
メトロポリタン美術館       
 
   上述の創元社のラ・トゥール書籍は、17世紀のラ・トゥールの紹介という面より、20世紀の作品発見の歴史に重点を置いた内容になっている。
 
   同著に基づき、ラ・トゥール《女占い師》発見の歴史を確認する。
 
 
   1945年、フランス北西部のある一族が数世代にわたって所有していた絵画が、ラ・トゥール作品だと特定される。
 
   特定したのは所有者の甥の息子。
   彼は幼いときからこの絵が壁に飾られているのを見て育ったのだが、ラ・トゥール作品だと気づいたのは、1943年、ドイツで戦争捕虜となっていたとき。配られた本に掲載されていたラ・トゥールの他の作品の図版を見たことによる。
 
    1948年、所有者の相続人が国立美術館に作品の存在を知らせる。ルーヴル美術館が獲得に名乗りをあげる。しかし、画商が予想外の高値を提示したのが原因か、交渉は決裂。その後、本作品の存在は伏せられる。
 
   1960年、メトロポリタン美術館が本作品を購入したことを発表する。
   ほとんど誰も知らなかったこの作品が、突然にアメリカのものとなったことに衝撃を受けるフランス人。当時の文化相マルローはこの作品の輸出が認められたことについて議会で釈明しなければならなかった。
 
    1980年、本作品の贋作疑惑が持ち上がる。その理由としては、描かれている人物の服装がラ・トゥールの時代ではありえないと判断されたこと、左側の髪の黒い横向きの女性のショールに「MERDE(畜生)」という文字が発見されたこと、などである。
   ただし、後者は、修復家のいたずらによるものであったらしい。
(この画像では、「ME」はそう見える気がするが、「RDE」は判別できない。取り除かれたようである。)   
 
   その後、疑惑は晴れたのだろう、本作品は、ラ・トゥールの「昼の絵」の代表作の一つとされているようだ。
 
   METの所蔵となってから、米国内都市4回、パリ3回、モスクワ、ウィーン、直近では2016年のマドリードの回顧展に貸し出されている。     
 
   ちなみに、METはもう1点ラ・トゥール作品を所蔵している。
   こちらは「夜の絵」。
 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 
《ふたつの炎のあるマグダラのマリア》 
1640年頃、133.4×102.2cm 
メトロポリタン美術館       
   1963年にフランスから米国の個人コレクターの所蔵となり、1978年にMETが寄贈受け。
   METサイトには「This work may not be lent, by terms of its acquisition by The Metropolitan Museum of Art」とある。
 
 
 
   以上、再掲終わり。
 
 東京展は、大阪展より作品との距離があって、大阪展ほどの臨場感を味わえない。新規購入した単眼鏡をもってしてもそんな感じ。会場による環境差異があることを思い知る。


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