顔真卿
王羲之を超えた名筆
2019年1月16日〜2月24日
東京国立博物館
書には興味がないので、本展はパスするつもりであった。
しかし、顔真卿《祭姪文稿》の人気ぶりを知る。
台北の國立故宮博物院が所蔵する、本国でも滅多に公開されない至宝(✳︎)であるとか、この作品を見るための会場内待ち行列が30分とか60分とかになっているとか、中国大陸からこの作品を見るためにわざわざ来日する方もいるらしいとか。
まさしく2012年正月の東博「北京故宮博物院200選」展における《清明上河図》の再来ではないか。
(✳︎)ダイアモンドのネット記事によると、台湾でも最後に展示されたのは10年以上前、国外では1997年に米ワシントン・ナショナル・ギャラリーで展示されたのが最後とのこと。
お祭り好きの私、それまで顔真卿(がんしんけい)の名も知らなければ、「天下の劇跡」《祭姪文稿(さいてつぶんこう)》の存在も知らなかったが、これは見ておきたい。でも、書1点のために30分も60分も並びたくない。ので、たまたま都合がついた土曜の夜間開館時間帯に訪問する。
18:30過ぎに入館。まずは《祭姪文稿》を目指す。第一会場の一番最後にある。この時間帯でも待ち行列10分との案内。《祭姪文稿》の方を見ると、えらく長い。あの《清明上河図》は5メートルほどであったが、《祭姪文稿》は短くて鑑賞自体はすぐ終わるものと思っていたが、結構ボリュームがあるのだなあ。列に並んでいる途中に気づく。えらく長いのは、後世の所蔵者たちが紙を継ぎ足してコメントを残しているから。今や長さの大半が讃となり、顔真卿の本体部分は想像どおり短い。
展示室内に用意された各種解説を見終わらないうちに5分ほどで書の前に到着、顔真卿の本体部分は一瞬(+少しの粘り)の鑑賞、コメント部分は素通りする。係員の声掛けが厳しい(けど確かにやむを得ない)。せっかくなのでもう一度並ぶ。
最大目的完了後、冒頭から順番に鑑賞する。展示ボリュームが凄まじい。この時間帯でも結構な人がいる。皆さん熱心。熱心な方は中国の方が多いのかと思ったら、日本の若い女性も結構いる(日本語を話していたから、たぶん。違うかな)。《祭姪文稿》コーナーに再度たどり着く。せっかくなので再度並ぶ。
会場内の書の用語が全く分からない。「書体」の種類は、はなから諦める。
「拓本」はなんとなく分かっている気でいるが、今回「孤本」という言葉を覚える。今回覚えた言葉は「孤本」だけ、一度にたくさんは無理。
書の人も、「王羲之」以外は聞いたことがない。今回さすがに「顔真卿」を覚える。今回覚えた名は「顔真卿」だけ、一度にたくさんは無理。
また、日本には貴重であるらしい中国の書がたくさんあるのだということを知る。台東区立書道博物館とか三井記念美術館とか。貴重のレベルが分からないけど。
第二会場に移る。顔真卿の続きのあとに、人だかりができている書がある。これまた台北の國立故宮博物院から来日した凄い書であるらしい。
懐素(かいそ)の《自叙帖》。狂おしい草書、変化の妙。長さのある書だが、人だかりは前半部分にできている。そうか、後半中心に見てしまったが、前半が見どころだったのか。
閉館時刻が近づく。第4章(日本の書、空海とか最澄とか)、第5〜6章は形だけで切り上げ、せっかくなのでもう一度《祭姪文稿》に並ぶ。
書に興味のない私は漠然と見るだけであったが、これほどの大掛かりな企画だと相応に楽しめてしまった。ただ、きちんと見ようとすると、私の滞在時間2.5時間では足りない。
会場外の1階には、顔出しパネルが設置。書の大家たちとともに。
ところで《清明上河図》、もう一度見たいなあ。