天文学と印刷
新たな世界像を求めて
2018年10月20日~19年1月20日
印刷博物館 先(2018年9月)の上野の森美術館での「世界を変えた書物展」の天文学バージョン(印刷業風味)と言えようか。
金沢工業大学ライブラリーセンターからも出品。
【博物館サイトより】
ニコラウス・コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラー、天文学の進展に大きな役割を果たした学者と印刷者の関係を紐解きます。
天動説から地動説(太陽中心説)への転換が起こるきっかけとなった『天球の回転について』。
著者であるコペルニクスの名は知られている一方、本書の印刷者を知る人は少ないのかもしれません。
15世紀のヨーロッパに登場した活版および図版印刷は、新たな世界像を再構築していく上で大きな役割を果たしました。
学者と印刷者は共同で出版を行うのみならず、学者の中には自ら印刷工房を主宰した人物も存在します。
本展では学問の発展に果たした印刷者の活躍を、天文学を中心に紹介します。
【展覧会出品目録より】
15〜17世紀における世界像の転換
アリストテレス(前384-前322)
月を世界の境界線に設定。月より上の世界では四元素(火・空気・水・土)が絶えず生成消滅を繰り返すのに対し、月より上の世界では不生不滅の世界とされ、惑星および恒星天にそれぞれ天球が与えられる同心天球論を唱えた。また、各惑星の天球は完全な運動として、等速円運動をすると説明した。
〈出品〉
アリストテレス『著作集』
アルド・マヌーツィオ、ヴェネツィア、1495-98
プトレマイオス(127-145活躍)
アリストテレス理論では、現実の観測とは乖離があった。プトレマイオスは観測事実に近づけるために、同心天球論に周転円および離心円という円を設定し、観測に一致する理論の構築を行った。
〈出品〉
プトレマイオス『コスモグラフィア(地理学)』
ラインハルト・ホッレ、ウルム、1482
コペルニクス(1473-1543)
プトレマイオスの理論は時が経つにつれ、観測値に忠実にしようとするあまりに、複数の周転円を設定するなど、複雑化していった。
コペルニクスは太陽が中心にあり、地球は周転を回る惑星の一つであるとすることで、より簡素化した体系を組み立てられると考えた。
〈出品〉
コペルニクス『天球の回転について』×2冊
ヨハン・ペトレイウス、ニュルンベルク、1543
コペルニクス『天球の回転について』第2版
ハインリヒ・ペトリ、バーゼル、1566
ティコ・ブラーエ(1546-1601)
観測活動を通じて、アリストテレスの述べた天球の存在を否定。しかし、地球が惑星の一つであるということには賛同せず、あくまで中心は地球とし、月と太陽は地球の周りを公転し、太陽の周りを惑星が公転しているという体系を提唱した。
〈出品〉
ティコ・ブラーエ
『天文学に関する書籍』
ウラニボルク、1596
ティコ・ブラーエ
『新天文学の序論』
プラハ、1602
ティコ・ブラーエ
『新天文学の器具』
レヴァン・フルシウス、ニュルンベルク、1602
ヨハネス・ケプラー(1571-1630)
コペルニクスの太陽中心説をさらに推し進め、惑星は太陽を1焦点とする楕円軌道を描き公転すること、速度は一定ではなく、惑星と太陽を結ぶ直線は一定の一定の時間に一定の面積を描くことを導き出した。古代けら疑われることのなかった「惑星が円を等速で動く」という前提条件はケプラーによって初めて退けられた。
〈出品〉
ケプラー『宇宙の神秘』第2版
エラスミ・ケンプフェリ、フランクフルト、1621
ケプラー『新天文学』
ハイデルベルク、1609
ケプラー『世界の調和』
ヨハネス・プランク、リンツ、1619
ケプラー『ルドルフ表』
ヨナス・ザウル、ウルム、1627
【博物館Instagramより】
チラシは8枚をつなげると一つの絵柄となるデザイン。
第1部の西洋が67点、第2部の日本が17点、計84点の出品。天文学中心だが、別分野のものもある。
上記5名以外では、デューラー、パチョーリ、ガリレイ、葛飾北斎、司馬江漢、他私には馴染みのない名前が多数。