東京でカラヴァッジョ 日記

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ヴェロッキオの「ラスキンの聖母」 -「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」展(東京都美術館)

2022年05月12日 | 展覧会(西洋美術)
スコットランド国立美術館
THE GREATS 美の巨匠たち
2022年4月22日〜7月3日
東京都美術館
 
 東京都美術館「スコットランド国立美術館」展にて、ヴェロッキオの聖母子像を見る。
 
 
スコットランド国立美術館
 
アンドレア・デル・ヴェロッキオ(帰属)(1435頃-88)
《幼児キリストを礼拝する聖母(「ラスキンの聖母」)》
1470年頃、106.7×76.3cm
 
 この時代のフィレンツェ・ルネサンスらしい聖母子像という感じで、好ましい。
 背景に描かれる廃墟と化した古代建築も好ましい。
 ローマの寺院がキリストが生まれたとき崩壊したという伝説に基づくもので、古い宗教に対する新しい宗教の勝利を象徴しているという。
 実物は、色彩もサイズも画面の輝きもあって、画像で見るよりも格段に魅力的。
 
 本作品は、19世紀英国の美術評論家ジョン・ラスキンが所蔵していたことから、「ラスキンの聖母」とも呼ばれる。
 図録の解説を見ると、ラスキンは1877年にヴェネツィアのマンフリン・コレクションから購入したとある。
 
 
〈マンフリン・コレクション〉
 マンフリン・コレクションは、私的には初めて名を聞くが、18世紀後半にジローラモ・マンフリン(1742-1801)が創設し、1897年までヴェネツィアに存在したコレクション。
 現在ヴェネツィア・アカデミア美術館の至宝であるジョルジョーネ《テンペスタ》&《老女》、マンテーニャ《聖ジョルジョ》、メムリング《若い男の肖像》は同コレクションに由来するという。
   ジローラモの孫の代にコレクションの売却が本格化するなか、1857年、ヴェネツィア関係者は、ロンドンのナショナル・ギャラリーや美術商との同コレクション争奪戦のなか、政府(当時のヴェネツィアはオーストリア帝国配下)の支援も得て、これら名品をヴェネツィアに留め置くことに成功したようだ。
 なお、《テンペスタ》については、別の個人蔵を経て、1932年にアカデミア美術館の所蔵となった模様である。
 
 
 
 また、本作品の作者は、ヴェロッキオ(帰属)とあるが、ドメニコ・ギルランダイオ作(または、ドメニコ・ギルランダイオとの共作)の説もあるらしい。
 
 ヴェロッキオの代表作と言えば、なんといっても彫刻作品。
 絵画作品については、ウフィツィ美術館所蔵《キリストの洗礼》の一部をヴェロッキオ工房の弟子であったレオナルド・ダ・ヴィンチが担当した際のエピソードがよく知られているが、工房の弟子たちにその多くを任せていたようだ。
 そのため、作者としてヴェロッキオの名が出てきても、弟子100%制作のケースを含めて、ヴェロッキオの関与度合いをさまざまに想定しなければならないようだ。
 
 その弟子たちには、レオナルド・ダ・ヴィンチのほか、ロレンツォ・ディ・クレーディ、ペルジーノ、ボッティチェリ(弟子というより協力者?)、など次世代の錚々たる名前が並ぶ。
 ドメニコ・ギルランダイオもその錚々たる弟子の1人と推測されている。
 
 本作については、弟子であるドメニコ・ギルランダイオが関与している可能性も考えられているということだろうか。
 
 
 
 以下、作者として「ヴェロッキオ」が出ている他の聖母子像の絵画作品を見てみる。
 
 計6点。
 ヴェロッキオ単独名の作品は2点。
 他の4点は、弟子との共作、本人または弟子作、工房作、弟子作となっている。
 
 
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 
Andrea del Verrocchio
《The Virgin and Child with Two Angels》
1467-69年頃、69.2×49.8cm 
 
 
Andrea del Verrocchio and assistant(Lorenzo di Credi)
《The Virgin and Child with Two Angels》
1476-78年頃、96.5×70.5cm 
 
 
ベルリン美術館
 
Andrea del Verrocchio
《Madonna and Child》
1465-70年頃、75.8×54.6cm
 
 
Attributed to Andrea del Verrocchio or Pietro Perugino 
《Madonna and Child》
1470-72年頃、75.6x47.9 cm 
 
 
メトロポリタン美術館
 
Workshop of Andrea del Verrocchio
《Madonna and Child》
1470年頃、66 x 48.3 cm
 
 
シュテーデル美術館、フランクフルト
 
Piermatteo d' Amelia (in Verrocchio's workshop?) 
《Madonna and Child》
1475-80年頃、84.7 x 64.6 cm 
 
 
 スコットランド国立美術館所蔵作品と同様、これらの聖母子像も好ましく見える。
 私的には、ベルリンの本人作とされる聖母子像を実見してみたい。
 


8 コメント

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ヴェロッキョ工房のこと(その1) (むろさん)
2022-05-17 13:55:53
この2、3年、ロンドンNG展出品のギルランダイオの聖母子やジャクマール・アンドレ美術館のボッティチェリ?の聖母子のことを調べる機会があり、その関連でヴェロッキョ工房作の絵画・彫刻作品についてもいろいろ調べてきました。スコットランド展出品のラスキンの聖母に関連して、これらの資料を再度見直ししていたところなので、この機会に少しコメントします。

ヴェロッキョについて書かれた日本語で読める概説書はNHK出版のフィレンツェ・ルネサンス3百花繚乱の画家たち(1991年)、小学館世界美術大全集イタリア・ルネサンス1(1992年)ぐらいしかありません。その他では、少し古いものですが、小学館の超大型本「フィレンツェの美術」第3巻の別冊解説編(1973年)収録の「ドナテッロと15世紀のフィレンツェ彫刻」(ルイージ・グラッシ著)がヴェロッキョの彫刻を概説しています。また、ヴァザーリの美術家列伝全訳版第2巻(中央公論美術出版2020年)のヴェロッキョ伝で最新の研究動向や参考文献が分かります。日本ではヴェロッキョ単独の本は出ていなくて、私も単独の本ではSADEA / SANSONIの伊語版の小さな本(1966年)しか持っていません(古いので絵画作品の判定は現在とは少し異なるようです)。

ヴェロッキョ工房の実態を分かりやすく書いたものとしては、芸術新潮2007年6月号(レオナルドの受胎告知来日記念特集)掲載の第1部(森田義之氏解説)が役にたちます。さらに、ヴェロッキョ工房の制作分担を知るのに役立つ論考として、2007年ペルジーノ展(損保ジャパン東郷青児美術館他)の図録掲載の「フィレンツェ、ヴェロッキョの周辺にて」(ウフィツィ館長A.Natali)がお勧めです。ウフィッツイのキリスト洗礼や3人の大天使(F.ボッティチーニ作?)の作者帰属やレオナルドその他の画家の関与の仕方について有意義な論文です。

絵具や技法の分析に関しては、芸術新潮に前橋重二氏が書いている一連の記事が最新の成果を手短に紹介しています。2018年11月号の「レオナルドも描いたのか? ヴェロッキョ工房作の作者をめぐる新考察」では、最近の研究によりピストイア、サン・ゼノ大聖堂の「広場の聖母」とルーブルの受胎告知など、その関連作品(プレデッラ)について、レオナルドを含む複数画家が関与している可能性を紹介しています。また、文末で2019年にフィレンツェとワシントンで本格的なヴェロッキョ展が開かれる予定としていて、そのヴェロッキョ展に関連して2019年12月号の「海外アートStudy最前線」No.49「絵具の新研究で読むヴェロッキョ絵画」でウフィッツイのキリスト洗礼の新知見を紹介しています。なお、ヴェロッキョ展に関してはワシントンNGのHPに動画が出ています。(下記URL)
https://www.youtube.com/watch?v=T3IdSmKabwA
https://www.youtube.com/watch?v=Ai7zyjhs2No
また、個人の方のヴェロッキョ展訪問のブログ記事もあります(下記URL)。今回のスコットランドのラスキンの聖母も出品されていました。
https://mikissh.com/diary/verrocchio-national-gallery-of-art-washington-dc/

ヴェロッキョと弟子、協力者の関係は1470年代での両者の年齢差と出身地に関係すると思っています。ボッティチェリについては、ヴェロッキョとは10歳差、ボッティチェリの最初の師であるフィリッポ・リッピがスポレートへ移ったのが1467年で、ボッティチェリは22歳。このすぐ後にヴェロッキョ工房の協力者となったと思われ、明らかにヴェロッキョ工房と関係があると考えられるウフィツィのフォルテッツアが1470年25歳の時です。そして、ボッティチェリの父の財産申告書(カタスト)では35歳のボッティチェリは「親の家に住んでいる」と書かれているので、ヴェロッキョ工房の住み込みの弟子ではない、自宅からの通いでの協力者だったと思われます。
ボッティチェリより8歳若いレオナルド・ダ・ヴィンチや14歳ぐらい若いロレンツォ・ディ・クレディは住み込みの弟子です(ヴィンチ村生まれのレオナルドは公証人の父の事務所がフィレンツェのバディアの近くにあったので、当然父の家も市内にあったはずですが、庶子なのでヴェロッキョ工房の住み込みにさせられたのでしょう。この辺の事情については上記の2007年の芸術新潮で森田氏が詳しく述べていて、父の2番目の後妻に男子が生まれてから、レオナルドに対する扱いが変化したことなど、興味深い内容が書かれています。また、ロレンツォ・ディ・クレディはフィレンツェ出身ですが、後に工房を引き継ぐ人物なので、最初から住み込みだったと思います)。そして、ボッティチェリよりも少しだけ若いギルランダイオ、ペルジーノ、ボッティチーニの場合では、フィレンツェ出身のギルランダイオとボッティチーニは自宅から通う協力者(または弟子)、ペルジーノはフィレンツェ出身ではないので、最初はヴェロッキョ工房の住み込みだったかもしれません。余談ですが、芸術新潮連載のヤマザキマリ作リ・アルティジャーニにはこの辺の人間関係の一端が生き生きと描かれていて面白いと思っています(特に2016年3月号カラヴァッジョ特集の時の連載第2回ではヴェロッキョ、ボッティチェリ、レオナルド、フィリッピーノ・リッピという主要メンバー総出でした)。

ボッティチェリ工房作という場合は弟子の手が入っている作品ということで、質が低いという意味で工房作という言葉が使われているようです(ギルランダイオ工房作やペルジーノ工房作も同様)。例えば2016年ボッティチェリ展出品作46の「パリスの審判」はボッティチェリ工房作であり、ボッティチェリ自身の手が感じられません(画面左の船がヴァチカン・システィーナ礼拝堂フレスコ画と同じものなので、ボッティチェリ工房で作られたのは間違いないですが)。ヴェロッキョ工房作という場合はこれとはニュアンスが少し違い、そもそもヴェロッキョ作の絵画というものはほとんど全て工房作であり、ヴェロッキョ自身が描いた単独の絵画作品というものが存在するのか?と思います(ベルリンの聖母子も100%そう言えるか?)。これが現存するヴェロッキョ作、ヴェロッキョ工房作、ヴェロッキョ帰属作の実態だと思います。なお、工房の師匠と弟子の制作分担の判別については、日本美術の運慶・快慶周辺の作品でいろいろ興味深い問題や西洋美術のことを知るのに参考になることがありますが、書き始めると長くなるので、この件はそのうち機会があれば書きます。

いずれにしても、ヴェロッキョ工房の実態を解明することはレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、これら周辺画家の修業時代のことと深く関連しているため、現在のフィレンツェ・ルネサンス研究のメインテーマとして多くの研究者の関心を引いているようで、その集大成が2019年フィレンツェ・ワシントンでのヴェロッキョ展だったと思います。
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ヴェロッキョ工房のこと(その2) (むろさん)
2022-05-17 13:59:03
上記本文掲載の6点の聖母子については個別にコメントします。なお、この6点を選んだ根拠としては何に出ていたのか教えてください。

ロンドンNGの最初の絵
これは一般にはボッティチェリの初期作品の一つとされています。ライトボーンのカタログレゾネ(1978年の2巻本のVol.2)では「若いボッティチェリに帰属する作品」として区分していて、ヴェロッキョ工房作とする何人かの研究者の説を上げながら、ウフィッツイのフォルテッツアなど初期の完全なボッティチェリ自筆とは区別しています。マンデルのカタログ(1967年、邦訳集英社Rizzoli版1975年)ではヴェロッキョあるいはヴェロッキョと交渉のあった画家の手やその影響を認め、判定としては9分割した四角マークのうち、上6個分が黒塗り(一部協力者の手が入るとする作品よりもさらに多くの部分に協力者の手が加わる作品)としていて、ボッティチェリ以外の手が多いという判定です。今回取り上げた6点の聖母子の中では最もボッティチェリに近いものですが、ボッティチェリの真筆とされる聖母子とは距離がある作品です。聖母マリアの顔はこの頃のボッティチェリらしくヴェロッキョの顔のタイプ(例えばフォルテッツアの顔に類似)ですが、左の天使が頭に花飾りを付けているところは、まだフィリッポ・リッピの影響が残っていることを思わせます。

ロンドンNGの2番目の絵
私が今回のスコットランドのラスキンの聖母の写真を見て、真っ先に思い出したのがこの絵です。上記ボッティチェリの聖母子で書いた「ヴェロッキョタイプの顔」、伏し目がちの目、そして唇の両端がわずかに上がっているところがその類似点と思っています。
伊語版ファブリ画集のペルジーノ(Arnoldi著1965年)にこの絵が収録されていて、この画集の著者はペルジーノ作と判断しています。私が想像するに、左の天使の上目遣いの表情がペルジーノを連想させるためでしょう。また、伊語版RizzoliカタログのPerugino(1969年)にも初期作品として収録されていますが、このカタログでは上記本文のベルリンの2番目の聖母子、これと同じ形式の幼児キリストが直立するタイプのジャクマール・アンドレの聖母子(下記URL。後述する同館のボッティチェリ?の絵とは別物)、ロンドンNGのトビアスと大天使、そしてこのロンドンの聖母子と2天使という今日では全てヴェロッキョ工房に関連付けられる4枚の絵がペルジーノの初期作品として扱われています。
https://www.musee-jacquemart-andre.com/en/oeuvres/virgin-and-child-1

1999年発行のペルジーノのカタログレゾネ(ペルジーノ研究者として知られるV.Garibaldi著、伊語版)ではこれら4点の作品は採用されていないので、この30年ぐらいの間にこの辺はかなり整理され、ヴェロッキョ工房に近い絵とペルジーノの初期作品の区別がなされるようになったことが分かります。(但し、上記URLではジャクマール・アンドレの聖母子をペルジーノ作としています。)また、コメント(1)で書いた芸術新潮2007年6月号(森田氏)の掲載写真解説ではロンドンNGの聖母子と2天使の作者を「ヴェロッキョ+ペルジーノ?」としていて、以前のペルジーノ説が跡を引いているように思われます。さらに、芸術新潮2018年1月号の特集「世にも奇妙な贋作事件簿」ではこの絵について、2010年の修復によりヴェロッキョとロレンツォ・ディ・クレディ作と判明したという記事が出ています。この記事では「腕のモデリングに彫刻家らしい三次元性と解剖学的正確さがあるだけでなく、残された素描群との類似性からも巨匠(ヴェロッキョ)の真筆と裏付けられる」とあります(右の正面を向く天使はロレンツォ・ディ・クレディの分担だそうです)。左の天使の胸に当てた左手はボッティチェリのヴィーナスの誕生、オニサンティの聖アウグスティヌス、ワシントンNGの青年の肖像(2016年都美ボッティチェリ展出品作)の手を思わせますが、専門家が見れば肉付けなどに差があることが分かるのでしょう。なお、ヴェロッキョ(工房)作の彫刻として、バルジェロにある「貴婦人の胸像」(大理石製で、ワシントンNGのレオナルド作テンペラ画ジネヴラ・デ・ベンチとの関連が取りざたされている彫刻。下記項目で引用する個人の方のブログ記事の下の方に写真)や同じバルジェロにある大理石の聖母子(後述)の左手がこれら(ロンドンNGの聖母子の天使やボッティチェリの作品)と近いということにも注意が必要です(ボッティチェリのヴィーナスの誕生の左手は必ずしもボッティチェリの専売特許ではないということです)。

ベルリン絵画館の最初の絵
これについてはフィリッポ・リッピと模倣作を扱った次の論文が参考になります。平成19~22年度科研費補助金報告書「模倣の意味と機能をめぐる研究」収録、剱持あずさ「フィリッポ・リッピによる聖母子像をめぐって」2011年
この中で著者はウフィツィにあるリッピ作の有名な聖母子からミュンヘンにある聖母子への変化(聖母マリアが幼児キリストから離れてキリストを礼拝し、天使も同席する形から、母子2人だけのより親密で人間的な情愛表現へ)、そしてその形式をすぐに利用したヴェロッキョ作のベルリンのこの絵のことを論じていて、この絵は「ヴェロッキョによる数少ない真筆の絵画作品とおおむね認められており、1466年~1467年頃に描かれたとされている」とあります。今回のスコットランド展図録のラスキンの聖母の解説ではベルリンにあるフィリッポ・リッピの絵(メディチ・リッカルディ旧蔵)が先例として上げられていますが、同じリッピの絵を参考にしてもいろいろな時代・構図の絵を利用していることが分かります。(ベルリン絵画館へは6年前に初めて行って、ボッティチェリ、フィリッポ・リッピ、クリヴェッリ、カラヴァッジョなどとともにこの絵も見てきましたが、あまり記憶は残っていません。)

ベルリン絵画館の2番目の絵、Metの絵、シュテーデルの絵
これら3点は全て聖母マリアの半身像とその前に幼児キリストが直立するという同じパターンです。そしてこの形はヴェロッキョ工房の彫刻(大理石やテラコッタ)とともに、同じ元の素描類から制作したものと思われ、このタイプの作品のことを考えるには彫刻も含めて検討することが必要だと思っています。
2年前のロンドンNG展に出たギルランダイオの聖母子もこの形の変形バージョンです。また、ジャクマール・アンドレで近年購入したボッティチェリ?の絵も同じパターンです。(下記URL)
https://www.musee-jacquemart-andre.com/en/oeuvres/virgin-and-child-0
このジャクマール・アンドレの絵は最初ヴェロッキョ作として購入したそうで、聖母の左手の形が(上で述べた天使の左手と同じく)バルジェロにあるヴェロッキョ工房の大理石彫刻とよく似ています。(下記URLの個人の方のブログ記事の3枚目の写真。なお、ここでは工房の弟子の名前で出ています。バルジェロの展示解説にそう書かれているためと思われますが、このフランチェスコ・ディ・シモーネ・フェッルッチの名前は、上記ヴァザーリの美術家列伝ヴェロッキョ伝に、ヴェロッキョとよく似た作風の彫刻が作れる弟子として出てきます。コメント(1)で書いたSADEA / SANSONIの小さな本にはヴェロッキョ工房作となっていて、最後に述べるZeriのリスト中の10番目のテラコッタの聖母子―同じバルジェロ所蔵―よりもヴェロッキョ本人の関与の度合いが低い作品とされています。)
https://luca-signorelli.blog.jp/archives/21553424.html

2016年ボッティチェリ展図録の出品作17ヴェロッキョ工房作大理石聖母子浮彫も同様のタイプの作品です。(なお、同展図録ではヴェロッキョ帰属とされる出品作19の信仰の寓意像素描の解説で、この素描とスコットランドのラスキンの聖母、ウフィツィのキリスト洗礼との量感やモデリングの類似が述べられています。この素描は1991年の世田谷美術館フィレンツェ・ルネサンス 芸術と修復展で来日した時はボッティチェリ帰属とされていました。)
なお、ジャクマール・アンドレの聖母子をボッティチェリ作と判定できるかについては、異質の要素も多いので私の意見もいろいろありますが、今回のテーマとはやや外れるのでコメントは控えます(昔同館に行った時にはまだ購入していなかったので実物を見ていません。将来パリに行く機会があれば見たいと思います)。

ZERIのリスト(下記URL)ではヴェロッキョの作品は40件で、聖母子の絵ではベルリンの真筆とされる絵とよく似た作品(ワシントンNG)とか幼児キリストが直立するタイプの別の絵(ロンドン、Bellesi)、上記ジャクマール・アンドレのボッティチェリとされる作品などが掲載されていますが、ラスキンの聖母は出ていないし、絵画も彫刻も40件ではかなり不十分と思っています。ただ、ARTISTAのヴェロッキョの作品40件の下にレオナルドやペルジーノなど共同制作者の作品が別に書かれているのは良い点だと思います。
http://catalogo.fondazionezeri.unibo.jp/ricerca.v2.jsp?view=list&batch=10&sortby=LOCALIZZAZIONE&page=1&decorator=layout_resp&apply=true&percorso_ricerca=OA&locale=it&filtroartista_OA=10315
(itをjpに置き換えて投稿していますので、itに戻してください。)
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Unknown (k-caravaggio)
2022-05-18 20:01:26
むろさん様
コメントありがとうございます。
大部、濃厚で丁寧な内容でびっくりです。

ヴェロッキオの作品実物には今まであまり縁がなかったところ、今回の来日作品を好ましく感じ、他の聖母子像の絵画作品はどうかと気になって確認してみたという記事です。

6点の選択については、特になにをもとにというのはございません(ヴェロッキオ単独の書籍は保有していません)。

ネット検索で、その過程で初めて知った2019年のヴェロッキオ展出品作をベースに、ブランド美術館の所蔵作を追加したというところです。
作者名などは、英米は所蔵美術館HPの、独はヴェロッキオ展の記載に基づきました。
むろさんさんがおっしゃるとおり、ヴェロッキオ工房作という場合は他とはすこしニュアンスがちがうことを改めて認識していたところでした。

むろさんさんのコメントに刺激を受けているところです。
挙げられた書籍や記事をすべて追うことは難しいにしても、ペルジーノ展図録などの手持ちのものや、芸術新潮の記事などは確認していきたいと思っています。
いろいろとご教示いただきありがとうございます。
返信する
ヴェロッキョ工房のこと(その3) (むろさん)
2022-05-18 23:20:21
スコットランド美術館展にはまだ行っていないので、その予習として今回最も注目しているヴェロッキョ工房作ラスキンの聖母に関連することを調べていました。ロンドンNG展以降確認していたことに加えて、Met展に行ってからの(頭を切り替えた)この1カ月ぐらいで手持ち資料を見直ししたため、ヴェロッキョ工房に関する理解はかなり深まったと感じています。6点の選択をご自身のお考えで選んだとのことなら、大したものだと思います。

さて、前コメントで書き忘れていたことがあったので、少し追加します。
中央公論美術出版のヴァザーリ美術家列伝全訳版注釈でオックスフォードのウェブサイトが有用であると書かれていて、下記URLが記載されています。
https://www.oxfordartonline.com/groveart/view/10.1093/gao/9781884446054.001.0001/oao-9781884446054-e-7000089040
これを入力すると一応ヴェロッキョに関するページが出てくるのですが、それ以上進めることができません。サインインしないとダメなようですが、やり方などをご存じなら教えてください。

また、同じ注で気になる記事が一つありました。それはヴェロッキョが若い頃(17歳ぐらいで)殺人を犯したとするものです。内容は「ヴェロッキョの名が最初に記録に登場するのは1452年に14歳のアントニオ・ディ・ドメニコなる人物を石で撲殺した件についてであるが、結局は翌年に和解して彼は赦免される」というものです。このヴェロッキョ伝は森田義之氏が解説、注釈を書いているので注の内容は信頼できると思います。今までヴェロッキョの殺人事件など読んだことはなかったし、ヴァザーリのヴェロッキョ伝本文にも書かれていません。カラヴァッジョのような乱暴者なら別ですが、ヴェロッキョは工房の師匠として多くの弟子を持っているような人物なので、この件には驚きました(多分相手側に非がある正当防衛のようなものだと思います)。
返信する
Unknown (k-caravaggio)
2022-05-19 20:41:30
むろさん様
コメントありがとうございます。
また、追加情報をありがとうございます。

ヴェロッキオの件については、むろさんさんのコメントで、初めて知りました。
改めてネット検索して知ったのですが、小学館の世界美術大全集西洋編11にも書いてあったのですね。絵画章の解説は目を通していましたが、彫刻章の解説を見ていませんでした。同じく森田義之氏による解説です。

オックスフォードのウェブサイトの件については、むろさんさんと同じ結果です。おそらく、しかるべき負担が必要なのでしょう。

先般、中央公論美術出版の美術家列伝第2巻を購入しました(高価ですので、他の巻を購入する予定は今のところありません)。読むというより、辞書を引くような感じで利用するつもりです。

引き続きよろしくお願いいたします。
返信する
ヴェロッキォの工房、ラファエロの工房、運慶・快慶の工房 (むろさん)
2022-05-22 22:26:22
今回のコメント、ベラスケスの方に続けるか、ヴェロッキォに戻るか迷ったのですが、内容が工房制作のことなので、ヴェロッキォの方に戻ることにしました。コメント数が多く、長くなってしまいましたが、もう少しお付き合いください。

まず、ヴェロッキォの傷害致死事件の件ですが、確かに小学館世界美術大全集11にも掲載されていました。この森田氏の彫刻の部分も確認したはずなのに見落としていたようです。これより少し前に出たNHK出版のフィレンツェ・ルネサンス3(ヴェロッキォの部分は望月一史氏)と白水社版の彫刻家建築家列伝(ヴェロッキォの部分は森田氏)を再度確認しましたが、記載はなかったので、この間に新しい史料が発見されたのかもしれません。これ以上のことは海外の研究書を確認しないと分かりません。中央公論美術出版の列伝のヴェロッキォ伝には研究書として4冊が上げられていますが、2019年のワシントンのヴェロッキォ展の監修者がButterfieldであること、石鍋氏のフィレンツェの世紀でも参考文献としてButterfieldの本が取り上げられているので、この4冊からヴェロッキォの研究書を選ぶならButterfieldの1997年の本がいいようです。また、ヴェロッキォ展の図録もよさそうなので、機会があればこれらもさがしてみようと思います。

そして小学館世界美術大全集11を見直したら、望月一史氏の「工房のシステムと組合」の項目にヴェロッキォ工房の聖母子3点(上記本文の図と同じシュテーデル、Met、ベルリンの幼児キリストが直立するタイプ)が取り上げられ、それぞれに「ヴェロッキォ工房(ギルランダイオ)」といった形で制作に当たったと思われる弟子の名前が書かれていることに気がつきました。しかし、この( )内の担当者名が本当にそれでいいのかは難しい問題です。前コメントで引用した同じ形式のジャクマール・アンドレの絵2点について、この形式で書くなら「ヴェロッキォ工房(ボッティチェリ)」「ヴェロッキォ工房(ペルジーノ)」となるはずですが、少し疑問も感じます。前コメントで書いたZERIのヴェロッキォ作品リスト中の23番目、ロンドン(Bellesi)の聖母子などでは( )内は誰の名を書けばいいのか思い浮かびません。

この工房作での問題に関連し、スコットランド展の予習として調べた絵として、最後にラファエロを取り上げたいと思います。この魚の聖母の習作は縦25cm、一方、プラドにある完成作は縦215cmなので、確かにこの素描を拡大して油彩画にしたということが推定できます。そして両者を比較すると、聖母マリアの顔の向き、手前の台の角度、聖母の玉座肘掛の角度、ライオンの頭部の位置などが異なること以外ほぼ近いものですが、完成作の段階でいろいろ手直しが入っていることが分かります。

ラファエロについてはあまり専門的な本は持っていないのですが、手持ち資料の中で魚の聖母の解説が載っていたのはRizzoli集英社版ラファエロぐらいでした(来歴などの記載が多く、あまり参考になる内容ではない)。興味深いことが出ていたのは、美術出版社 世界の巨匠シリーズのラファエロ(若桑みどり訳1976年。原書はJHベック著Abrams社)の「エゼキエルの幻視」(ピッティ美術館)解説です。それは「父なる神の腕の下、右側(向かって左)で首をかしげるケルビムは、同じ頃におそらく助手が描いた魚の聖母の幼児イエスにそっくりで、このエゼキエルの幻視もその助手が描いたものかもしれない」という一文です。
確かに両者はよく似ていると思います。そしてラファエロの画集を見ていて、もう一つ似ている顔がありました。それは(偶然ですが)同じスコットランド国立美術館の「ヤシの木の聖家族」の幼児キリストです。

これら3点を時代順に並べると、ヤシの木が1506~07年頃、魚が1512~14年頃、エゼキエルが1514~18年頃と制作年代に差があります。ヤシの木はフィレンツェ時代の絵で聖母子画の傑作を何点も描いていた時期。ローマへ移るのが1508年であり、ヴァチカンのフレスコ画の主要部分は1511年には完成するので、魚とエゼキエルはヴァチカンの残りの壁画と並行作業ということになります。そして、ヤシの木はラファエロ本人が幼児キリストの顔を描いた可能性が高いと思いますが、魚とエゼキエルの時はラファエロが大規模工房を構えて大勢の弟子を指揮する立場だったので、ほとんど弟子にまかせていただろうと考えられます。ヤシの木の聖家族を描いた1507年頃(ラファエロ24歳)にも当然弟子はいたと思いますが、同時期の聖母子画の傑作の主要部分は自筆としていいと思います。(なお、同時期の聖母子画の傑作の中ではルーブルの「美しき女庭師」の幼児キリストが、ヤシの木の聖家族の幼児と左右反転ですがよく似た顔だと思います。)今回の図録解説で魚の聖母の習作は1512~14年頃となっていて、完成作と同年代の判定です。そして、この習作の幼児キリストの顔は上記3点の油彩画とはあまり似ていない(というよりも表情をきちんと描いていない)と感じます。これはどういうことなのか、私が考えたストーリーは以下のとおりです。

聖母子画の傑作を何点も描いていた1507年頃にラファエロ本人がいろいろな角度の幼児の顔を描き、多数の習作を残した。魚とエゼキエルは、注文を受けた絵の全体構図の習作をラファエロが描き、そこに前からあった幼児の顔の習作を組み合わせたため、時代が違っても(ヤシの木と)同じ顔になった、というものです。私は上記世界の巨匠シリーズの本でJHベックが考えた「エゼキエルの幻視のケルビムと魚の聖母の幼児イエスを同じ助手が描いた」とする考えには賛同できません。助手個人が誰であれ、ラファエロ自筆の習作に描かれた幼児の顔を使ってラファエロ本人と同じように描ける優秀な弟子が複数人いたと考えます。

前コメントで、ヴェロッキォ工房の弟子・協力者のことを詳しく書きましたが、師匠と弟子の分担問題の参考になることとして、(前コメントでいつか機会があれば書くとした)日本美術の運慶・快慶の弟子のことも少し書きます。それは東博の運慶展に出ていた興福寺北円堂無著・世親・四天王と出なかった本尊弥勒仏の作者、そして、快慶の三尺阿弥陀に関する弟子との分担に関することです。北円堂の出品作6体については運慶の6人の息子が年令順に持・増・広・多の四天王と肖像2体を分担しています(弥勒仏の台座銘より)。そして、これらは運慶の統率の元に作られ、各像に息子たち個人の作風は全く感じられません(四天王は最近北円堂旧像説が有力になり、湛慶以下の息子の個性が見つけられないか、専門家が研究している段階ですが)。一方、本尊の弥勒仏は運慶工房の古参仏師源慶が担当していて、運慶没後数年たって、同じ源慶が作った吉野の如意輪寺にある蔵王権現の耳と北円堂弥勒仏の耳がそっくりであることが指摘されています(蔵王権現は釈迦が形を変えて現れたものとされているので、如来と同じ耳の形であることに問題はありません)。耳や手の形で作者を判別する方法はルネサンス美術の研究でモレッリが発案した方法ですが、鎌倉時代の仏像の作者判定に有効ということで、近年目覚ましい成果を上げています。運慶は弥勒仏について、総括的な指導・監督はしていても、細かい彫り方については古参の源慶に任せていたことになり、私もこの弥勒仏は「運慶の作品」であるが、細部に弟子の「手」が感じられる珍しい例だと思っています。快慶と弟子の行快の作については、耳の中の外耳輪上脚という部分の角度に違いがあることが指摘されていて、快慶銘がある作品でも行快の耳の特徴を持つ像や右耳と左耳で特徴が異なる像(左右を分担して作り合体した?)などが報告されています。快慶工房としては弟子が作っていても「快慶銘」をつけて出荷しているということで、それは現代のブランド品が中国で作られていても、ルイヴィトンやシャネルのブランドを付けて売られているのと同じです。弟子との分担については、ルーベンスが自分と弟子の手の割合で絵の値段が違うということを手紙に書いているという面白い例もあり、ヴェロッキォの件も含め興味は尽きません。今後も東西の様々な例を確認しながら、工房のことを考えていこうと思っています。
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Unknown (k-caravaggio)
2022-05-23 20:07:30
むろさん様
コメントありがとうございます。

ヴェロッキオ展の図録、美術書を読むほどの英語力はありませんが、興味があります。
調べると、東京都中央図書館が保有しているようです(ただしイタリア語版)。また、Butterfieldの1997年の本も。同図書館は私の行動範囲の外にあるので、あまり行くことはないです。

ラファエロ情報もありがとうございます。
たしかにラファエロの晩年も、作品は工房の弟子任せの割合が高くなりますよね。2013年の国立西洋美術館の「ラファエロ展」のラインナップを思い浮かべました。

まずは、(まだ未着手ですが)教えていただいたペルジーノ展図録など手持ちの資料や芸術新潮の記事を集めて読みたいと思います。
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広尾の中央図書館 (むろさん)
2022-05-25 21:46:32
都立中央図書館の情報ありがとうございます。以前は広尾のこの図書館もよく利用していましたが、この10年ぐらいはもっぱら上野(芸大図書館、東博・東文研・都美の資料室)です。芸大はまだ利用できないので、そろそろ広尾や六本木新美術館の資料室も利用しようかと思っています。
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