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飯島城(2024年1月13日)

2024-01-14 23:49:31 | 日記

飯島城

長野県上伊那郡飯島町本郷にある飯島城に行ってきました(2024年1月13日)。

飯田線の伊那本郷駅から歩いて20分ほどです。「宮坂武男と歩く戦国信濃の城郭」にも書かれてましたが、広大な城跡でした。

城跡は、飯島本城を中心とする中世後期のものと、城山を中心とする中世前期のものに分かれます。現地の説明板によると、伊那地方に栄えた信濃の名族・片桐氏の支族である飯島氏によって築城されたもののようです。織田氏の伊那侵攻によって落城しています。

飯島本城、城山ともに空堀や土塁が見どころになります。

説明板

飯島本城

飯島本城の空堀

古城と前の田の間の空堀

城山の全景

城山

城山に建てられている説明板

城山の祠

説明板

前の田

飯島城(中世後期)の位置

飯島城城山(中世前期)の位置


蓬莱橋(2024年1月8日)

2024-01-13 23:25:41 | 日記

蓬莱橋

静岡県島田市にある蓬莱橋に行ってきました(2024年1月8日)。

勝間田城から島田駅に向かう途中で寄り道しました。

大井川に架けられた木造橋で、全長は897.4mになります。江戸時代の大井川は、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われたように、橋は架けられておらず、大雨が続くと川止めとなるような川でした。

明治時代になって、牧ノ原台地と島田宿を結ぶために蓬莱橋が架けられました。当初は、全て木製でしたが、大井川の氾濫で何度も被害にあったことから、昭和40年になって橋脚部分だけコンクリート製になって、今に至っています。

牧ノ原台地側の入口

蓬莱橋(牧ノ原台地側)

蓬莱橋(1)

蓬莱橋(2)

蓬莱橋(3)

蓬莱橋(4)

蓬莱橋から見た富士山(1)

蓬莱橋から見た富士山(2)

島田市のマンホールの蓋

蓬莱橋の位置


勝間田城(2024年1月8日)

2024-01-13 04:44:32 | 日記

勝間田城

静岡県牧之原市勝田にある勝間田城に行ってきました(2024年1月8日)。

金谷駅から諏訪原城を経由して歩きました。諏訪原城からは1時間45分ほど歩きました。

登っていくと「通行止」となっていたので、こちらではなく少し戻るように登っていく道なのかなと思い、そちらを少し進んだのですが、間違っていたようで、やはり「通行止」となっているところを進むのが正解でした。よく見たら薄く「車両」と書かれており、車両通行止のことでした。

非常によく整備されており見やすくなっています。天気が良ければ、出曲輪や東尾根曲輪からは富士山を見ることが出来ます。この日は富士山を見ることが出来ました。

現地の説明板によると、この城は勝間田氏が15世紀中頃に築城されたと考えられているとのことでした。

登城口(1)

登城口(2)

出曲輪

出曲輪から見た富士山

城址碑

西三の曲輪

三の曲輪

二の曲輪

主郭(1)

主郭(2)

主郭と南曲輪の間の堀切(1)

主郭と南曲輪の間の堀切(2) 南曲輪から撮影

南曲輪

東尾根曲輪(高くなったところ)

東尾根曲輪から見た富士山

二の曲輪と北尾根曲輪の間の堀切

大堀切?

五連続堀切(1)

五連続堀切(2)

五連続堀切(3)

説明板(1)

説明板(2)

説明板(3)

勝間田城の登城口(駐車場)の位置


諏訪原城(2024年1月7日)

2024-01-11 20:30:50 | 日記

諏訪原城

静岡県島田市金谷にある諏訪原城(別名は牧野城、牧野原城、扇城)に行ってきました(2024年1月7日)。

最寄駅は、JR金谷駅で駅から歩いて15分ほどです。現地の説明板によると、この城は武田勝頼が馬場信房、武田信豊に命じて築かせたとのことです。この城のみどころは、なんといっても武田の城の代名詞でもある丸馬出、三日月堀が非常によく残っているところです。また、天気がよいと富士山を見ることが出来て、眺望も素晴らしいです。

登城口(こちらはマイナー)

水の手曲輪

二の曲輪(1)

二の曲輪(2)

二の曲輪東馬出からの眺望

主郭と虎口

主郭の説明板

三日月堀

大手曲輪にある城址碑

今福浄閑戦死墓塚

諏訪原城の位置

 

 

 


箱山城(2024年1月7日)

2024-01-11 01:39:03 | 日記

箱山城(2024年1月7日)

長野県上田市中丸子箱山にある箱山城に行ってきました(2024年1月7日)。

長窪城から大屋駅に向かって歩いていたのですが、丸子町のあたりで、少し時間に余裕が出来てきたのが分かったので、寄り道してみました。登城口で説明板を見てみると、主郭まで片道850mとのことでしたので、登城口に寄るだけではなく、主郭まで登りました。

説明板の情報によると、この城は依田氏の分族である箱山判官国正によって築かれたようです。八丁坂と大手坂のあた。が、一番苦しかったです。大手坂には、ロープが取り付けられているので、なんとか登ることが出来ました。

登城口

ムサシ展望台(ここが標高634mたからだそうです)

八丁坂

大手坂

主郭(1)

主郭(2)

主郭の虎口

主郭に建てられている縄張図

堀切(1)

堀切(2)

堀切(3 )

堀切(4)

説明板

箱山城の登城口の位置