西南戦争熊本城の戦いにおいて、籠城策を決めた熊本鎮台は、陣地の構築、弾薬等戦いの準備を行いましたが、約3,500名の鎮台兵や将兵家族のための食料の備蓄も開始しました。米、味噌、日本酒・・・煙草等約1ヵ月分を確保しましたが、戦闘が開始され3月初め頃には、残った食料も心細くなり、薩摩軍の包囲の中、城下から粟、稗、濁り酒を調達したり、城内の堀から鮒、鯉、芹、菜の花を採ったり、豆腐の醸成、ぼた餅を作ったりして頑張ったそうです。兵隊さん以外にも西南戦争を戦った人達がいたんですね。また熊本城下の市民は、薩摩軍の動きに応じて逐次避難を開始したようですが、2月15日熊本鎮台は正式な退避命令を出し、市民の戦災被害を避ける努力もなされたみたいです。
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