くまもとよかとこ案内人の会

熊本観光ボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。

せいしょこさんと西南戦争

2019年02月23日 | ガイド”もっこす”

141年前、明治10年(1877年)2月19日、熊本城が炎上、21日薩摩軍の本格的攻撃が開始され、「西南戦争熊本城の戦い」が始まりました。薩摩軍は熊本城を包囲し、三の丸方向から攻撃、第13歩兵連隊長與倉中佐が戦死する程の激戦になりましたが、城内に一歩も侵入することができず、24日以降約3千の兵隊で囲み、薩軍主力は田原坂に転進。政府軍との約1ヵ月に亘るし烈な戦いとなりましたが、薩摩軍は同地の戦いに敗れ鹿児島に敗走、城山に籠り最後の戦いに挑み9月24日西郷隆盛が自刃し西南戦争は終了しました。この時、西郷さんは「わしは、官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ!」と述べたと伝えられています。清正公と西郷さんは約280年の時空の差があります。こりゃどぎゃんこつかな!清正公は、熊本城築城に当たり次のような事を述べたと伝えられ、「熊本城は島津対処のため」は正に薩摩軍が攻撃「天守閣前の銀杏の木が天守閣の高さに育ったら異変が起きる」は、西南戦争「熊本城は西向きの城」は、薩軍主力は三の丸段山付近を攻撃激戦地となった。「敵の攻撃があっても西出丸があれば100日は堪える」は、薩摩軍の攻撃、包囲から52日間籠城し耐えた。 「城北の守りで田原坂と植木山、勢隠山、吉次峠が大事」は、田原坂の激烈な戦いで決着がついた。これらを西南戦争に当てはめてみると、正に西郷ドンは、熊本城を築城した清正公と約280年の時空を超え戦い、難攻不落の城によって敗退した事になるのかも知れませんね。


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