くまもとよかとこ案内人の会

熊本観光ボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。

2019熊本城復元状況

2019年01月05日 | 熊本城復元

2019年も始まり、正月には真っ白な天守閣の姿を見て、地震からの復興が1日1日進んどるこつに元気づけられたタイ。昨年から本格的な天守閣復元工事が始まり、大天守約800個の石垣の積み直しも終わり、屋根瓦平瓦と素丸瓦を組み合わせ漆喰(消石灰を主材料、これに「すさ:麻を裁断したものに、「ふのり」、「つのまた」等の海草を煮て作った糊)で固めた真っ白な姿を見せ、「」も載せられ、また黒色の渋皮塗り(柿の渋汁、黒灰、にかわを混ぜた物)の下見板(したみいた)張りも進められている。市の中心通町から見ると、”美しく壮麗な天守”の姿が見られ、昔に戻ったような気がすっとたい!辛島町のMICE施設も今年オープン予定とか!たのもしか~2019年は飛躍の年になりそうタイ

 


”流鏑馬”あ~た見たこつあっと

2018年10月27日 | 熊本城復元

先日、ガイドバしょったら二の丸に馬の嘶き、ドッドッドッ・・・迫力満点、お城観光に来たお客さんも皆大喜び、初めて見たバイ”やぶさめ”今から約1100年前、清和天皇の皇子から源氏七代に伝わった後、武田・小笠原の両流に分かれました。武田流は若狭武田家の信直から、婚姻関係にあった細川藤孝(幽斎)が受け、家臣の竹原惟成が直伝され、細川忠興から忠利が肥後に入国後は竹原家が宗家師範としてその一切を受け継ぎ、藩学の時習館時代には、武田流の流鏑馬は二条流和歌式や礼法と共に必修科目であったと言われます。流鏑馬式では天長地久式とは異なる神頭矢(じんどう や: 硬い木の小さな塊を矢の先に付けたもので、 物に刺さることではなく、 破壊することを目的とした矢)を用います。的は三ヶ所で約三十間(50m程)毎に置き、馬は全長約200mの馬場を約20秒で駆け抜けます。この間、射手は手綱を放した状態で射を行うので相当の熟練と胆力が要求されるとの事です。


復興!熊本城

2018年10月20日 | 熊本城復元

先日、熊本城の復興状況が報道関係者に公開されました。大天守は、白と黒の真新しい外観が見られるようになり、通町交差点付近から”じぶん達”も見なはっとよかバイ。石垣の積みなおしも進み、地震で崩れたり緩んだりした約790個が天守閣の北面は、9月上旬に107個の積みなおしをおわった。大天守1階には、X形にクロスさせ、耐震と制振の機能を持つ最新式の「クロスダンパー」と呼ばれる装置を設置し、たいぎゃ丈夫にしとらす。またコンクリート壁の外側には、熊本城独特の「下見板(したみいた)」という黒い板を取り付けらした。


こらぁ~おもしろか

2018年10月13日 | 熊本城復元

”肥後こま”は、インドネシアから中国を経て仏教とともに、また中国から朝鮮を経て伝来したとされています。江戸時代に武家の子どもの遊びとして始まり、遊びごまと曲ごまとが庶民の間で遊ばれた。“チョンカケ”ごまは、肥後こまの代表的なもので、「ちょん(宙を)かけ(駆ける)」という名前の由来通り、この”こま”は紐を使って空中で回して遊びます。その遊び方を伝承するため、肥後こま保存会の皆さんが休みの日に熊本城二の丸で妙技を披露されています。皆さんも一緒に楽しんでみたらいかがですか。