船場橋の袂には、新町に入るために設けられた29門の1つ船場柳御門があったと。御門は、熊本城下の南東、船場橋から山崎町方面を監視する関所門で朽木家(くつきけ)が厳重に警戒していた。門の構造は跳ね上げ式で、番所が置かれ、門の前には勢屯(せいだまり)と呼ばれる広場がありました。坪井川沿いには、後には「船場山」と呼ばれる小高い土居を築かれ、土居には柳を植えてあったことから「柳の御門」と呼ばれていたそうたい。慶長15年(1610)には加藤清正が熊本初の阿国歌舞伎の勧進興行を行なったと伝えられているよ。ここに貯木場や物資の荷揚場があり、船場・塩屋町として賑わっていた。かつて物流の大動脈だった坪井川の船着場として栄えた船場界隈は「肥後てまり歌」発祥の地との説も!
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