
<マッターホルン北壁>
パウダーを滑るのが好きになったのはまだまだスキーがヘタクソな頃、1994年だったかな。
菅平に篭っていた時、例年になく大雪で、雪がばかばか降りまくり、深雪を滑る体験をした。
初めて滑った時は先輩に連れられてほとんど滑れなく、大きなバナナターンをするか、転ぶかのどちらかだった。
滑れるようになったキッカケは毎晩夕食後にやっていた自主トレのプロペラターンだった。
毎晩1000回のプロペラターンを自分に課していた。
そんなんでプロペラターン、ジャンプターン、ウェーデルン(当時呼称)は得意だった。
先輩からは「深雪の時でも押せば返ってくるから。」と言われたが返ってくるのがわからなかったから、強引に返らせたんだ、ジャンプターンで。
だからパウダー滑るのすんげー疲れたけど、いつかタイミングが掴めるようになって、そして「返ってくる」のがわかるようになった。
そしたら浮遊感も楽しめるようになって「パウダー最高!!」って叫びながら滑るようになっていた(笑)。

<オーバーテオドル氷河 標高3000メートル超>
94年当時は基礎スキー全盛期だからパウダー滑る人なんて少なくて降れば好きなだけ滑れるカンジだった。
それからも篭ったスキー場(北志賀、玉原、清里)でも率先してパウダーを滑っていた。
そして満を持してやってきた98年ウィスラー(ガイドデビュー)。
25年振りの大雪のシーズンにブチ当たり思う存分パウダーを楽しむ。
2月にはウィスラーのローカルが「パウダーはもういい(No Thank You)」と言うほど降りまくった。
バックカントリーという言葉を聞くようになったのはこの頃だけどゲレンデに思う存分雪が、パウダーがあったから裏山なんかに行く必要はこれっぽちもなかった。
2001年 初めてブラッコムでバックカトリーデビュー。
山岳ガイドと一緒に滑る。
今までにないスキー体験に興奮する。
こんなスキーもあるんだと感激する。
それから友達とバックカントリーに行くようにもなった。
ウィスラーは雪と天気が落ち着いていればお手軽1DayTripが楽しめる場所だから。
2002年夏 スイス駐在。
ヨーロッパのスケールを目の当たりにする。

<バクカントリー 後方にマッターホルン西壁>
2003年冬 『カオル企画』スタート。
この頃からいつかはオートルートというツアーに行きたいと思う。
2006年春 ウィスラー版オートルート、3泊4日スキーツアー「スペアーヘッドトラバース」へ出掛ける。
ヨーロッパのオートルートへの憧れが強くなる。
2008年冬 2年振りにヨーロッパを滑る。
オートルート、どうしたら来れるかな?
2009年春 オートルートのツアーをやりたい。
F社の先輩・C葉さん(仮名)がツアーを始めたのをきっかけに思いは強くなる。
2010年4月 オートルート視察 サースフェー・シャモニー 完全走破!!
なーんてわけで昨日、今日、オートルートを知って、行きたくなったわけじゃないんだ。
本気だからウン十万円を自腹で出して視察に行って来たし、2年後のツアープランを立てて、カオルだけじゃなく、一緒に行ってくれるメンバーのみんなにもしっかりと準備をしてもらって、最高のツアーを、最高の時間を、皆で一緒に過ごしたいと思っている。
やっぱね、視察に行って良かったよ。
カオルに足りないもの、カオルの駄目なところ、カオルがみんなに伝えなきゃいけないことがすごくはっきりわかったから。
これからオートルート2010 たび記の連載を始めるけど、カオルのダメダメぶりから色々と学んで欲しいと思います。
まぢでカオルは駄目でした、いやーホントにしんどかった。
憧れてるだけじゃだめなんだよ、ちゃんと事前準備しなくちゃ。。。

<青空、飛行機雲、軍隊キャンプ、マッターホルン、完璧!>