春休みだなぁ 行楽シーズンでもあるなぁ 日曜あたりは人手が多いだろねえ
子供を連れたパパ&ママがイッパイだったりして~ ひぇぇぇ>_<
まぁ当然、花見も多いだろけどなぁ 日曜、月曜と予想天気図を見てみてみたら~
ありゃりゃぁ こりゃぁ桜もいっぺんに散ってしまいそうな強風だろうなぁ
等圧線の数がこりゃハンパないわ~ 私も釣行どうしようかなあ~
行きたいけど この予報天気図では何処の釣り場でもテンヤワンヤするだろなぁ
果たして釣りになるかどうだかねぇ・・まぁ一応、行きさえすれば落ち着くんだけどなぁ
でも、泣き言をブツブツ言って帰ってくるのがオチだろなぁ かなり悪い予報天気図だしぃ
雨は降る気配は全くないけどなぁ ハンパない強風だけなんだよなぁ(T0T)チクショー腹立つなぁ(怒)
沢山コマセも余ってるのになぁ 使わないと勿体ないしぃ・・
一応、釣り具は全部車に積み込んで用意はしてるんだけど~ まぁ最終的には明日の夕方の天気図見て
判断するとしようかなぁ 雨が降らなきゃ何とかなるでしょ(笑)
ところで皆さんは「獅子身中の虫」と言う言葉を殆どの方が御存知かと思うけど
この言葉の理解度がまちまちなんですよねえ・・・
普通一般的に自分の味方の中に或いは腹心の中に奸物が潜んでいて主の転覆を謀るとか
友人の振りをして実際には足を引っ張る画策してる輩と思っている方が多いと思う。
まぁそれも獅子身中の虫に違いないとは思うけど・・
一番怖いのは、自分でも己が獅子身中の虫だと気がつかない人がいるということだ
例えばの話だけど勤めている会社の社長を、褒め称えたり 「いいえ、あなたは正しい 間違っていない」とか
擁護ばかりして、おだて、諂い 覚えめでたくあろうと考える人・・
実はそういう人こそ一番の獅子身中の虫なのである 自分では一生懸命に尽くすし、悪心は無いのだが
結果的には主の足を引っ張るようなことになりかねないのである
諌言をする者こそ真の忠義の者である 褒め称え 諂い 擁護ばかりしていては
主は、メクラ(言葉悪くてゴメンナサイ)になってしまうのである これでいいのだと周りを見なくなったり
見えなくなったりするのだ 結果的に言えば 諌言(いさめること)する者は先日書いたような「良薬」であり
もう一つの「甘言」甘い言葉ばかり発する者こそ自分では気がつかないうちに
「獅子身中の虫」に陥っているのである
これには私達、僧呂が一番陥りやすいのだ 別に何も偉くも無いのに檀家の方々から敬われたり
上に置かれたりしてして徐々に気がつかないうちに慢心してくるのである
気がついたときには(まぁ気がつく事は無い人が多いが) 学問もやらなくなって
僧呂としての向上心等 何処かにぶっ飛んでしまって 唯の愚かな人間に成り下がるのである(笑)
それでも自分は僧呂だから普通の人より偉いのだと勘違いしているバカは沢山いる(^^;)
私はいつも思っていることがある
坊主こそ世の中の役に立たない人間はいないと・・
例えばの話であるが 読経なんてものは人にお願いして唱えて貰うよりも自分で経本を読んで
唱えれば それでよいのである その方が故人も喜ぶし お布施も要らないだろう
法事だからと言って何も僧侶に読経して貰わなくてもいいのだ 自分で経本を読めば良いのだ
法衣なんて着てなくても一向に構わないのだよー^^ 私も私の御師様もそう思っている
考えてみれば これから先は益々、僧侶は役に立たない人間になってくる気がする
若い者が多い時代になり、御墓は無くなってきてるし 法事だって少なくなってきている
ましてや信心なんて馬鹿らしいからやらないよって言う人が沢山だ~
だからぁ、早い話が一般的に言えば仕事が無くなってしまうと言う事だよねえ
僧侶こそ他に何かやれと言われても何も出来ない人達が多いのでは?
だって他の仕事の知識とか乏しいからねぇ
実際の現実問題として先のコロナ禍からお寺を出て行かれた僧侶がアチコチで
色んな下働きをしていることを見聞きしています
まぁ私の場合は半俗半僧だから他に生活の手立てがあってからの僧侶なので
もとより困ることはないのだけどねえ 自分が生活に困ってたら
他人の悩み聞いてあげることなど覚束無いよね^^
瞑想衣