翁の徒然なる日々

日々是自遊

国内最大の円墳「富雄丸山古墳」での発見について(前編)

2023-01-29 11:30:00 | 日々の徒然
公開日:2019/06/12•更新日:2023/01/29
 
 またまた日本海側は大雪、停電、断水、寒波、大変な日々が続いています。皆様どうぞお気をつけてお過ごしください。

 1月25日のNHKニュースで青銅製の銅鏡と鉄の剣が見つかったというニュースがありました。画期的な発見だそうです。
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「国宝級」の声も 古墳から剣など発掘 何がスゴい?(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

4世紀後半に造られたとみられる奈良市の富雄丸山古墳から、専門家でも見たことのない盾形銅鏡が見つかりました。 奈良市にある富雄丸山古墳。ここで「国宝級」と言われる...

Yahoo!ニュース


また、発掘現場の見学会のニュースがありましたが、残念ながら現地へ行けません。見たいなぁ。
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奈良 「富雄丸山古墳」を一般公開 盾形の青銅鏡や鉄剣出土 | NHK

【NHK】過去に例がないような盾のような形をした青銅の鏡や大きな鉄の剣が見つかった奈良市の古墳が一般公開され、発掘現場をひと目見よ…

NHKニュース



大和文化会の講演
 
 今は退会しましたが、コロナ禍前、近鉄グループが主催する「大和文化会」の会員として毎月一度講演会に行っていました。
 
 今回、思いがけず、奈良の富雄丸山古墳で画期的な発見があったとのニュースを視て、2019年6月8日の大和文化会・第3回例会(6月8日(土)の聴講を思い出し、今回の発掘とは直接関係ありませんが、ご参考までに前後編二回にリライトしてご報告します。よろしくお願いします。

演題:「前期古墳の副葬品にあらわれた死生観―黒塚古墳・三角縁神獣鏡を中心に―」

講師:奈良県立橿原考古学研究所 調査部長(現副所長) 岡村孝作先生

講師プロフィール:
ご専門は日本考古学。とくに、装具・埋葬施設の検討を通じた、古墳時代における葬礼の復元的研究。

なお、岡村先生は今回の発見の上記の記事でもコメントしていらっしゃいました。

講演のポイント

「前期古墳の設計思想」について
  • 前期古墳(3世紀末)の古墳の設計思想は、遺体の保存より遺体の保護に重点がおかれていた。前期古墳の埋葬施設には、竪穴式石室と刳抜式木棺の組み合わせが見られる。
  • 岡村先生が発掘に関わった「下池山古墳」(天理市・3世紀末)では、墓壙は深く、石室(といえるほど広くはなかった)の一番下部に基台があり、その上に粘土で作った棺床、その上に割竹形木棺があったと推定され、上部に粘土被覆があった。
  • 石室の周りには、板石・塊石や大量のバラスが埋め込まれていて、防水と排水に極めて優れていた。 
  • これらのことは、遺体の保存よりも遺体を保護し、遺体が損傷を受けずに長い時間をかけ、徐々に朽ちて土に還るということに重きをおいていたことを示しているのではないかと考えられる。
刳抜式木棺と副葬品の配置にはある特徴が
 奈良県天理市柳本町にある前方後円墳「黒塚古墳(くろつかこふん/くろづかこふん)」を例に。なお、同古墳は、33面「三角縁神獣鏡」が出土したことで知られている。

  •  黒塚古墳の場合、木棺は長さ6m余の長大な刳抜式木棺。円筒形でまるで巨大なカプセルのようだった。
  • 木棺の材質は、約8割が「コウヤマキ」だった。なお、コウヤマキ(高野槇)は悠仁親王殿下のお印。
  • 遺体が納められいたと思われる棺室部分は2.7m、前後に仕切られているような形状。
  • 副葬品は、頭部の周辺に刀・剣と「画紋帯神獣鏡」が一面あった。なお、その他の古墳にも鏡が頭の周りに置かれることが少なくない。 
  • なお、この古墳も例外なく盗掘に遭ったが、中世に発生した地震により侵入する穴が崩れ、辛うじて盗掘を免れ、銅鏡が残ったといわれている。なお、戦国時代に柳本城が築かれたことも盗掘を免れた要因とも。
“遺体を保護する”という思想
  • 遺体保護の思想は、「棺槨」とともに中国起源の思想(死生観)。
  • 古代中国(紀元前1〜2世紀頃)では、直接死体を収納するものを「棺」といい、その棺を置くところを「槨」という、また、槨は壙の中に造られるという埋葬方法が用いられていた。弥生時代の倭人もその思想を受容したのではないか。 
  • 弥生時代後期に中国起源の埋葬施設である木槨とともに伝来、受容され古墳時代前期に受け継がれた、と思われる。
  • 古代中国には、「魂」と「魄」という思想があった。中国において、人間の体内のエネルギーである気を司るのが「魂」、形体を司るのが「魄」と呼ばれていた。 
  • 人間が死ぬと、両者は分離して上下に飛散するとも考えられた。中国の儒教の経書で五経の一つ『礼記(らいき)』郊特牲には、「魂気(こんき)は天に帰し、形魄(けいはく)は地に帰す。」 と書かれている。
  • 前期古墳の設計思想は、考古学的な検討からも「遺体保護の思想」があったと考えても良いのではないか。
  • 弥生墳丘墓から古墳へ。遺体保護の思想から「棺槨」の発展的継承へ。前期古墳の竪穴式石室への変遷。
▼「三角縁神獣鏡」で遺体を取り囲む

  • 兵庫県権現山古墳51号墳では、「三角縁神獣鏡は被葬者の頭部を囲むように、南側に開くコの字状に配置されて5面出土した」と発掘当時、報告されている。
そして、 

  • 黒塚古墳では、出土した33枚の銅鏡は、鏡面を被葬者に向けた形で出土した。中にはあたかも宙に浮いているように鏡面を下に向け、基底から浮いた状態のものも出土した。
  • 黒塚古墳で出土の三角縁神獣鏡は遺体の頭部(上半身)を「照らす」ように鏡が配列されていた。
  • なお、椿井大塚古墳(京都府)をはじめとする類似例の多くでは鏡面を外に向けた、黒塚古墳と逆の向きもある。
  • これらのことから、鏡を使って神霊を召喚する(仙人になる)方法という「神仙思想」の影響が認められるといってよいのではないか。
  • 鏡を木棺に入れることに関し、もちろん威信財としての側面が認められるほか、御霊を邪気から守る(「和御霊」)、荒神となって外に出さない(「荒神魂」)などの諸説があるのも類似した発想といえるかもしれない。
 神仙思想については、明日投稿予定です。

 続く…

 Have a nice day !!

注記:本文章は、主に講演を聴いて、メモしたもので書いています。従って間違っている箇所があるかもしれません。お許しください。





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